【中学受験】国語の偏差値を40から65まで上げた勉強法と偏差値アップの過程

【中学受験】国語の偏差値を40から65まで上げた勉強法と偏差値アップの過程

「国語ができる子はセンスがあるに違いない・・・。それに引きかえ我が子は・・・!45字以内で書けって言ってるのにどうして20字しか書いてないの!」

国語が得意な子ってなんか特別そうな感じがしますよね。

「私、現代文得意なんだ」

なんて言われると、たくさん本を読んできた文系オーラが勝手に見えてしまいます。

あ、ちなみに私も国語得意でした。

全国模試トップくらいのレベルで。

 

でも、得意になったのは大学受験からで、中学受験当時はそんなに得意じゃなかったんですよね。

つまり、生まれもってのセンスはございません。

 

私が中学受験勉強をしていた当時、国語の勉強法と言えば、「本を読むこと」「日記を書くこと」の2つをさかんに説法する罪深い方々がいらっしゃいました。

 

さらに罪深いことに、

「国語はセンスがモノを言うからなぁ!」

と平気で言う塾の先生に囲まれ、どうしていいのか分からなかった小学生の頃。

 

自分はセンスがない、だから量をこなすしかない。

お母さんの期待に応えたくて必死で国語の問題をやりましたよ。

 

でもできなかったんです。頑張ってもせいぜい偏差値60くらい。

あぁ、ダメだ。ごめんなさい。

 

そんな挫折感を味わってから6年後、大学受験でまた国語です。理系なら逃げられると思ってたんですがね。

いい参考書はないかとフラフラ本屋をさまよっていた時に見つけたのが「田村の現代文」です。

初めて国語を理屈で教えてくれる参考書に出会った私は「田村の現代文」を文字通り擦り切れるくらい読んで、やっと分かったんです。

 

国語には読み方の技術と、解き方の技術がある。技術を身につければ絶対に解ける。

田村先生を信じるッ・・・!

 

田村先生に参考書でしごかれた結果、当時のセンター試験レベルで満点以外の点数は取れなくなってしまいました。

東大の2次試験レベルや早慶の現代文もとくに問題なし。

ま、東大の2次試験と早慶の現代文は問題傾向はだいぶ違いましたけどね。

そんな傾向の違いすらものともしない国語の問題を読む力と解く力が身につきました。

 

後天的に

 

だからね、本当に嫌なんです。国語がセンスだなんて言われちゃうのは。

だってセンスなかったら可能性なし、お先真っ暗じゃないですか。

子どもが諦める姿くらい悲しいものはございません。

 

勉強で何が怖いかって、諦めることです。

自分の可能性を信じられなくなったら終わっちゃいます。

可能性をつぶすのは主に親だったりします。

そんな言葉はかけたくないものですね。

 

諦めてしまった子たちを田村先生の力を借りてどのように泥沼から引き上げていったか、今日はそんなお話です。

偏差値40からの挑戦

中学受験の家庭教師の依頼はほぼ算数。

国語を教えて、なんてご家庭はほとんどございませんでした。

 

そんな中、「国語も教えて欲しい」というご家庭がございました。

すでにその子には算数を教えていて、偏差値が50を切るくらいだったのが3か月で10程度上がったから国語もとスケベ心が働いたのでしょう。

 

学年は小学5年生。

 

小学5年生の月次のテストで算数の偏差値が50切るレベルから3ヶ月で10程度上げるのは大した芸当じゃございません。

計算タイムアタック、例題の反復、基礎の徹底、覚えた基礎の応用方法、演習、特別なことなんて何もしておりません。

ま、月次テストから逆算してスケジュールをアレンジするのは面倒くさかったですけどね。

 

で、算数の成績が良くなってきたのに気を良くして「国語も」とご依頼をいただきました。

中間搾取もなく毎月直接封筒でお金を頂いていた私は、封筒の厚みが倍になる誘惑には勝てませんでした。

 

確か偏差値が40くらいだったのを覚えております。

 

「成績をあげて欲しい」

と仰いましたが、私は

「すぐにあげるのは無理です。時間かかってもいいなら」

といったようなことを申し上げました。

 

テクニックで解けると思っていらっしゃる親御さんは悔い改めて左の頬を差し出した方がいいです。

手っ取り早い解決策があるなんて妄想を抱かないことです。

 

「本を読ませた方がいいですか?」

「本じゃなくて問題文で大丈夫です。受験向きじゃない読み方をしても成績は上がりませんから」

 

15も年上の大人に良く言ったものです。若いって怖いよねぇ。

でも、私はこの時自分をプロだと本気で思ってたんです。

私の考えるプロの定義は「良く知っていること」じゃないです。

「結果に責任を持つこと」です。

 

お金の入った封筒はとても重かったです。

国語の偏差値が40から50に上がるまで

手っ取り早く信頼を得るためにはとりあえず5くらいは偏差値を上げなければいけないと考えました。

 

まずやるべきはテストの分析です。

月次テストの答案を読み解いてみるとこんな感じ。結構記憶に残ってます。一所懸命でしたからね。

・漢字は半分 → 一度覚えた漢字の反復練習をしていない

・記述が全滅 → 問題文を理解できていない

・選択式は半分 → 感覚的に解いている

・後半の問題が空欄 → 読むスピードが遅い

 

つまり、漢字の反復練習と文章を速く正確に読めるようになるだけで成績は上がるだろうと思っておりました。

 

はじめに何をやったかって言うと、

毎回漢字テスト。毎日の漢字練習を指示。

それから使っていたテキストの文章をもとにまとめプリントを作り、大事な部分を空欄にして穴埋めをする練習をしていたんです。

もちろん事前に読んでおけよ、と指示して。

 

でもうまくいかなかったのを覚えております。偏差値微増くらい。

 

感情把握ができない?論理的に読めない?

でも、その訓練はしたはずという思いはありました。

その課題は時間が解決してくれる?慣れの問題?

 

いえ、私は語彙と表現の理解の問題だと考えました。

語彙と表現を理解する訓練

では問題を出します。

1.頰を赤らめた

2.頰を紅潮させた

3.頰が紅色に染まった

4.顔を赤くした

5.顔を真っ赤にした

さて、それぞれの感情を答えてください。

 

 

 

 

答え 無理です

 

例えば、「頰を赤らめた」って表現あったじゃないですか。

赤らめる前に、好きな人から告白を受けたのか、恥ずかしい失敗をしたのか、友達から意地悪をされたのか、前の出来事によって意味が変わりますよね。

 

じゃあなんで顔を赤くするだけでこんなに表現があるのかっていうと感情の強度の違いです。

「友達から恥ずかしい思いをさせられて頰を赤らめた」

「友達から恥ずかしい思いをさせられて顔を真っ赤にした」

上の二文では感情の強度が違いますよね?

上は「少し恥ずかしい思いをした」くらい。下は「恥ずかしさを通り越して怒りを感じている」。

 

感情には違いがあると同時に強弱があります。

 

強い怒り?深い悲しみ?大きな喜び?

それとも

ちょっとした憤り?アンニュイな午後?小さなガッツポーズ?

 

それは文章のつながりの中で判断することです。

 

語彙が足りないから語彙学習、それも必要です。

が、語彙は文章の中で生きています。

例えると、語彙ドリルは死んだ魚を捕まえる練習。生きている魚は文章の中にいます。

国語の偏差値50に向けて再構築

幸い説明文はそこそこできていましたので、壊滅状態の物語を再構築する学習に移りました。

 

ま、結局やったのはまとめプリントなんですけど、

「空欄の隣に感情を書いてね。あと、どのくらいの感情なのかも強いか弱いかでいいから書いといて」

と追加で指示。

 

とくにまとめプリントの感情に関するところは、手がかりとなった部分に矢印を引かせる、と。

 

そんなこんなで教え始めから数回のテストでやっと偏差値50をクリア。

控え目に言ってもめちゃくちゃ喜ばれました。

 

プリントのおかげ?私の教えかた?

 

いえ、どっちも違います。プリントのために何回も一所懸命読んだからです。

「プリントを完成させる」

ゴールを明確にして自分で考えて読んだから、読むスピードも精度も上がった、それだけです。

 

この間、私が付き添っている時は一切問題はやりませんでした。

国語の偏差値が50から65に上がるまで

偏差値が40から50に上がり、テストでいくつかの変化がありました。

・漢字はほぼ正解 → 反復で定着できた

・最後の問題手前くらいまで行き着くようになった → 読むスピードが上がった

・記述で多少部分点をもらえるようになった → 問題文を少しは理解できるようになった

・選択肢の正解率も少し上がった → 文章を読む力は上がったが相変わらず感覚頼み

 

さて、偏差値60が次の目標です。偏差値60を取れるであろう目標点数を設定いたします。

ただし、基本的に何もやり方は変わりません。

漢字テストとまとめプリントの2大巨頭。まさに黒澤明と小津安二郎。

 

問題はやんないのか?

 

やりません。

問題を解く力よりも読む力をつける方が時間がかかりますし、読む力がついてないのに小手先で解き方なんか身につけるとろくなことになりません。

田村先生の技術論についても全く解説していません。解説したって小学生を混乱させるだけです。

 

その代わり私がまとめプリントを作るときに技術論を使ってました。

意味なく空欄作っても仕方ないですからね。

きちんとやれば読める力がつくよう工夫を凝らしたつもりです、当時は。稚拙ながらね。

 

段落ごとに要約して全体像の把握及び前後の繋がりを明らかにしたり(説明文)、時間・場所・人物・出来事で整理(物語)して記述するのが本当はいいんですが、それができるレベルに達していなければ他の方法を考えなければいけません。

結論がまとめプリントだったってわけ。面倒臭い。

 

ただ、もらってる金も少なくなかったですし、それに見合う価値を出したかっただけです。

個人的な思い入れはありません。

 

さて、実は中学受験の国語の読解理論は「文章読解の鉄則」という本で網羅されております。

理論を知りたいのならこの本以外を読む必要ありません。

が、内容が細かくて難しいんですよね。ついでに字も細かい。

そして、なんと国語読解の鉄則が104個もあります。

 

104個の鉄則を意識しながら問題文を読み、解くのは至難の業です

例えば、

「解き方」の鉄則 その四十三

比喩表現を問う問題では比喩は絶対に残してはならない。また、傍線部の説明を求める問題では傍線部の言葉を使ってはならない(傍線部に慣用句を含む場合も同様)。

引用:文章読解の鉄則 第三章 より

こういうのが104個ありますのでお腹いっぱいにはなりますが消化に悪そうです。

国語の偏差値60からの停滞

小学5年生の秋くらいから教え始めて小学6年生になる頃には偏差値60くらいまでいっていたと記憶しております。

この間まで「××中学校や××中学校に受かれば御の字」と仰っていた親御様が「渋渋だ、早実だ、桐蔭だ」と言い出すわけです。

家庭では読む訓練に集中して、塾で問題演習をやっていれば偏差値60くらいはいける、というのが私の感覚です。

 

でもここから更に上げるのは難しい。

解き方をちゃんと理解しないと偏差値60以上をコンスタントにとるのは難しいんですよね。

小学6年生にもなるとね。

 

ですから偏差値60くらいを境に成績はフラフラ。

ピンチ?いえ、チャンスです。

一気呵成に解き方を教える素地ができたってものです。

国語の偏差値65への飛躍

なぜその選択肢を選んだのか、なぜそう記述したのか、その根拠は?

禅問答のような国語学習の始まりですよ。

 

答えだけ見て添削しても仕方ありませんよ。

同様に模範解答の考え方を教えこんでも全く意味はありません。

 

学力は人につけてもらうものじゃなくて、自分で考えて、その考えるプロセスによって身につくものです。

 

だから、ここでもプリント。

解き方プリントが桟敷から見得を切ります。

 

こんな感じ↓です。

たかしくんは傍線部の前の場面で(   )をしました。その時に花子さんは(   )をしていました。たかしくんは思わず(   )と言いました。花子さんは(   )をしました。(   )という気持ちになったからです。そしてたかしくんは(    )という表情をしました。なぜなら(   )と思ったからです。だから傍線部で(   )という気持ちになりました。

引用:いつかの解き方プリント

こういった訓練を続けていくと根拠を持って選択肢を選べるようになったり記述ができるようになります。

で、偏差値が65を超え70を目前にして私は家庭教師を辞めさせていただくことにしました。

 

就職活動が始まっちゃったので。

国語の偏差値65までの過程

偏差値40から65までの道のりは確か1年ちょいくらいです。

楽勝?

これ、だいぶ再現性のない話ですよ。

 

だって、もともとは国語のセンスのない人が全国レベルの国語力を後天的に理論で身につけ、たくさんの参考書を読み解いてプリントを作り、家庭教師の立場でスケジューリングと指示をして1年以上かかった話ですから。

 

でも教訓はあります。

・国語の勉強は早めに始めておいたほうがいい

・読む練習をひたすらやると偏差値60までは到達できる

・それ以上は解く訓練が必要になる

 

茅ヶ崎台の坂を下ってあの子は一体どこに行ったのだろうか。

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