【中学受験】音読で成績は上がるか 芦田愛菜さんに学ぶ理解力・表現力

【中学受験】音読で成績は上がるか 芦田愛菜さんに学ぶ理解力・表現力

私の数少ない得意なことのうちの一つが音読で生徒の理解力を測ることでした。もう一つの得意技はいかなる時でも屁をこけることくらいです。

講師をやっていた時によく音読をさせました。テキストとか、解答とかのね。

 

そうすると分かっているか分かっていないのかが、よく把握できます。

分かっていない子の音読はめちゃくちゃです。

 

ところで音読は成績を上げるという意見をよく聞きます。ちゃんと音読ができるようになると成績が上がるそうです。私は、「そりゃ卵と鶏の関係だろうが」と思ってます。

つまり、音読ができるようになって成績が上がったのか、成績が上がった(ちゃんと理解できた)から音読ができるようになったのか定かではないと思ってます。

 

とはいえ、音読で理解力を測れる、というのは確からしいと考えています。というわけで音読。今回はこれ。

学習効果と音読

音読の学習効果についてどうのこうの言う前にまずはこれをご覧になってください。あ、ちなみに私は芦田愛菜さんではないですよ。でも、もしかしたら鈴木福くんかもしれません。マルマルモリモリのダンスとか踊れますからね!

 

3つのCMのうち、3番目がとくに素晴らしい。

 

芦田愛菜さんが朗読しているのは宮沢賢治『銀河鉄道の夜』でジョバンニとカムパネルラが二人きりになってしまった場面です。

この場面の少しあとで、ジョバンニが振り返るとカムパネルラはいなくなってしまいます。ですから芦田愛菜さんが朗読しているのはジョバンニがカムパネルラと別れ、本当に一人になってしまう直前のセリフです。

『銀河鉄道の夜』は本当に好きな小説なので別の機会に紹介したいと思います。

 

で、芦田愛菜さんです。

これ、見て「ヤベェ!すげぇ!」と思いました。全てを理解しながら演技してるんだろうなぁと思いました。

この場面でのジョバンニの気持ちも理解していますし、普通の女子中学生(こんなかわいい女子中学生は普通じゃないが)が演技しようとして朗読したらどうなるかを理解して演技してますし、まーやばい。すごい。

MOTHERの頃からやばかったですけど、こんなのを見せられてしまうともうかなわない。子役界のヒョードルですよ。

 

さて、音読させたら本当に理解しているかどうかなんてすぐに分かります。嘘じゃないっスよ。本当っス。押忍。

私、生徒に音読させて理解度見てましたから。

偏差値30からの中学受験 教科別弱点学習法と個別指導塾・家庭教師の選び方

本当に分かってたら分かってるように読みます。文章の意味が分からないと普通に読むことなんてできません。理解してない子の日本語の音読はロシア語に聞こえます。

「お前の母ちゃんでべそ」が「ズドラストフビーチェ」に聞こえるんです。

音読と理解力

さて、上で紹介した芦田愛菜さんはセリフを読む時に少なくとも3つのことをやっていました。

 

1つ目は『銀河鉄道の夜』を朗読するうちにテンションが高まってくる演技。

2つ目は演技をしようとする女子中学生を演技すること。

3つ目はこの場面におけるジョバンニの気持ちを理解して演技すること。

 

中学受験を志すお子様には1つ目と2つ目は関係ありません。重要なのは3つ目です。

理解していないと音読はめちゃくちゃになります。句読点の位置での読み方とか、専門用語の読み方とかね。

 

なぜなら強調するポイントや、文のつながりがわからず、意味のつながりである文章を、意味がつながらないまま読むからです。結果として、訳がわからない。

 

「抽象的思想に含まれるある種の余韻は、大衆の誤謬により破壊的衝動を招き著者の意図しない結果を招くのだ」

という意味不明の文章があったとします。こんな文章を書く人は自分が気持ち良くなっているだけなので、「おー、こわっ!(ガリガリガリクソン風に)」と思いつつ、立派な大人は無視を決め込めばいいだけなのですが、なぜか入試ではこういう文章が出題されます。

××(コンプラ違反のため伏せ字)でもキメて文章を書いているに違いありません。

ビジネス文書として見たら0点ですが、試験では出てきます。

 

哀れな受験生は読まされて、意味を把握することを求められます。

 

こういった時に「抽象的」とか「ある種の」とか「余韻」とか、「大衆」に対する著者の意味づけとか「誤謬」の意味とか、なぜ「破壊的衝動」を招くと著者は考えているのかが分かっていないと、もとから破綻した文章がさらにすごいことになって鼓膜をハート・フォー・ユーしてきます。

 

ここまで極端な文章ではないとしても、理解していないと文章をまともに音読することはできません。中学生くらいになるとちょこざいなすべを使ってそれなりに読んだりしますが、小学生男子はそうもいきません。

少なくとも私は音読を理解力把握のための方法として使っておりました。

音読で成績を上げる

どうやら四谷大塚でもSAPIXでも、私の大好きな日能研でも音読は推奨されているようです。「声に出して読め」と。

おそらく意図としては「文章を音読することにより注意深く読むことができ、内容が頭に入ってくる」ということかと思います。

これには大賛成です。

 

とかく小学生というのは適当に文章を読みます。

女子は理解してなくても誤魔化すすべを身につけている傾向にあると感じていますが、男子は誤魔化せずロシア語になってしまいます。四ヶ国語麻雀でもやったほうがいいんじゃないかと思うくらいです。

あ、タモリさんはこれもすごいですね。

いいとも!とは違うタモリさんを堪能していただければ本望でございます。

 

さて、本題に戻りましょう。

音読をすると、自分が理解していないのが嫌という程分かります。自分の意味不明な声が自分の耳に入ってくるのだからたまったものではありません。

 

すると理解しようと努める、と。そういう大人の理屈ではございますが、そうは問屋がおろしません。なぜなら意味不明な読み方をする本人が、なぜ意味不明な読み方をしてしまうのか、そしてどうしたらきちんと読めるようになるのかを知らないからです。

経験上、「君は読むよりまず理解しなさい。理解すればきちんと読めるようになりますよ」と言ってくれる大人は少ない。付き添ってくれる大人はもっと少ない。

 

成績を上げるためには理解することが欠かせません。そして、理解を促すための音読なのですが、理解=音読の上達、という大人にとっては非常に簡単な図式を知らない子供が多いんです。

 

で、音読をやれ、と。今日び、小学校でも音読の宿題が毎日出されます。

試しに子供に聞いてみましたよ。

 

「なんで音読が宿題なのか分かる?」

「音読カードに丸をつけるためでしょ」

 

OUCH!全然分かってねえ!

というわけで子供は意味不明な音読という宿題を音読カードに丸をつけるためにやり、親は効果があるんだろうと信じて音読を子供にさせ音読カードに丸をつけるという図式が成り立つわけです。

 

これは小学校低学年に限らず、音読をする意味を教わっていない高学年でも一緒です。

 

仮に音読させることが成績の向上につながるとしたら、

音読する→意味を理解していないことに子供が気づく→意味を理解しようと努める→音読する→文章の意味、つながりが分かりまともに読める→成績がUPしている

となるはずなんです。

 

ところが、二つ目の「気づく」フェーズに思い至らないため、音読が作業になってしまう。逆に言うと、成績をアップさせたいのであれば、気づかせることに力を注いだ方が良いんです。

 

文章を要約させると良いとか国語力アップにつながるとか、ポイントを把握できるとか色々音読の良い側面がクローズアップされますよね。

その根本にあるのは理解そのものです。

理解できてなきゃ、要約も、国語力とやらも、ポイントの把握もあり得ない。

理解とは何か。

単語の意味がわかること。単語同士のつながりがわかること。つながりの意味がわかること。つなげてみて文章全体を意味として把握できること。

これが理解です。

 

「光合成とは植物の生き方そのものである」

という簡単な文章でも、光合成とは何か、植物とは何か、生き物とは何か、が分かっており、したがって光合成は生き方であると自分の頭で納得し、人に説明できて初めて理解となります。

面倒臭いでしょう。理解って。分かるってのは面倒臭いことなんです。でも一度分かればなかなかその理解が消えてしまうことはありません。

とんでもなく成績の良い子はこういうことをパッと理解しちゃう。だからこそ成績が良い。そして音読ができる。

 

私が「卵と鶏の関係」だと言ったのはこういうことです。

 

こと、学習においては理解の過程をすっ飛ばして急に伸びるなんてことはあり得ません。努力が必要です。

楽しようとするなかれ。楽な道に正解はありません。

芦田愛菜さんはどう読んでいるか

この人の才能は私が言うまでもなく五大陸に響き渡っておりますのであえて称賛はいたしません。

どう読んでいるのか、芦田さんのCMの3つ目を実況していきます。

 

「カムパネルラ!また僕たち二人きりになったね」

ここで視線を落とし、台本の次のセリフを見る演技をします。

「どこまでもどこまでも一緒に行こう」

また視線を落とし、台本の次のセリフを見る演技をします。

「僕はもうあのサソリのように本当にみんなの幸いのためならば、僕の体なんか100ぺん焼いても構わない」

ここでは何度も台本に視線を落とし、台本を読むようにして読む演技をしています。セリフの量が多いからそのようにしているのだと思われます。

 

「けれども本当の幸いは一体なんだろう」

ここでは視線を落とさずカメラの先を向かってセリフを読む演技をします。

そして『両立できないなんて嘘だ』と言うテロップが入ります。何と何の両立なのかが明示されていないので、見る人の想像に委ねていますね。

「どこまでもどこまでも僕たち一緒に行こう」

おそらくこの場面では台本に視線を落とさずセリフを言い切っています。

(このセリフのあと、「集合!」という声がします)

 

これだけ演技が上手な女優さんがセリフを覚えていないということはあり得ません。したがって、全てのセリフが頭に入った状態であえて、台本に目を落としながら読んでいる演技をしています。

ところが、「けれども本当の幸いは一体なんだろう」から続く「どこまでもどこまでも僕たち一緒に行こう」の場面では台本に目を落とす場面が写っておりません。

これは台本に目を落としていない、つまり普通の女子中学生が演技に力が入ってきて、自分の世界に没入している様を描いていると考えています。そして、最後に「集合!」という声で我にかえる場面でこのCMは終わる、と。

 

芦田愛菜さんが演技している女の子は、強調して読んでいる部分から推測して、『銀河鉄道の夜』のこの部分をしっかり理解しています。ところが、それに朗読や記憶が追いついていない。最後に気持ちが入ってきた時にようやく自分の言葉になる、そういう一連の場面を芦田愛菜さんは演じているものと思います。

 

ジョバンニがカムパネルラに「僕たち一緒に行こう!」と言う時の絶望的な響き(このすぐあとでカムパネルラは消え去っている)すらも表現しているので、『銀河鉄道の夜』という物語を理解しつつも演技技術の不足している女子中学生を演じていることがわかります。

 

こういうとんでもない芸当をやれ、という話ではないですよ。全てを把握していないとまともな朗読、すなわち音読なんてできないということを言いたいんです。

 

中学受験の勉強をしていると視野が狭くなります。親子ともども。

合格のためには音読がいいんだって、とかね。

でもね、基本に立ち返りましょう。理解することです。

 

理解とは何か?それは自分の頭で考え、導き出し、そして表現することができる。

そういうことだと思います。

 

最高にファックでクールな中学受験を皆様が送れるように心から祈っております。

あわせて読みたい



書いている人の紹介

星一徹のプロフィールはこちらから