【中学受験】論説文はちょろいぜ 文章のパターンを覚えて構造を理解!そして満点取れ

【中学受験】論説文はちょろいぜ 文章のパターンを覚えて構造を理解!そして満点取れ

国語は安定して満点を取れる唯一の教科である

解き方が分からない人には信じられないかもしれませんが、国語は満点を取れる可能性が最も高い教科であると私は考えています。算数も同じくらい満点の可能性がありますが、国語には及びません。

なぜなら、国語は文章に答えが書いてあるからです。

算数は問題文からは解答のための条件が見いだせるのみで、それを解答に変換するためには隠れた条件の発見やら公式の理解やら正確な計算やらが必要です。

同様に理科や社会も知識が必要です。中学受験において問われる知識の範囲は膨大です。その膨大な知識の範囲をすべてカバーし、満点を安定して取るのは容易ではありません。とくに社会では時事問題などという、気が遠くなるほど膨大な知識が必要とされる問題が出てくることがあります。

ですが、国語は文章に答えが書いてあるのです。

理科や社会では問題文に答えなど書いてありません。算数も同じです。ただし、算数は論理的思考によって知識がなくとも解答を導ける可能性がありますが。

国語を何となく解くのは止めよう

中学入試の国語を得点源にするという記事で言いましたが、国語は何となく解けてしまう教科です。なぜなら文章に答えが書いてあるから、知識や正確な解法を確立していなくとも曖昧な文章の理解でも、たまたま合っていたということが算数や理科や社会に比べて確率として高くなるからです。

これは確率だけの問題だと考えています。

すなわち、算数や理科や社会が6つの目のサイコロから正解を導く教科だとしたら、国語は3つくらいの目のサイコロから正解を導ける教科であり、適当に振って正解を出しやすいのは国語である、というだけです。

解法を確立せず確率に依存することは、自らの人生をサイコロに委ねているというのと同義です。

そんなことはもう止めましょう。

論説文における文章のパターン

中でも論説文は最も正解を導きやすいパターンの文章です。論理によって成り立っているので、論理的解法さえ身に着けていれば解けてしまうからです。

論説文の文章のパターンは2つしかありません。

1.条件を積み上げて結論を導き出すパターン

2.客観的事実を積み上げて結論を導き出すパターン

 

さて、1についてはこんな感じです。

社会とはある特定集団の振る舞いのパターンのことである → 一般的に言う動物の振る舞いは社会の文脈ではなく本能によって決定される → 人間の振る舞いのパターンは一般的な動物とは異なり社会的な文脈によって決定される → 人間は社会的動物である

 

こういった条件、ルール、論理によって結論が導き出されるのが1のパターンの文章です。

 

対して2の文章についてはこんな感じです。

50年前の合計特殊出生率は2を超えていた → 50年前は労働者の数と総生産量が比例していた → 現在は合計特殊出生率が1.5を切っている → 現在は労働者の数と総生産量が比例しない → よって合計特殊出生率は労働者の数と総生産量が比例する前近代的構造に立ち戻ることによってしか改善しない

 

 

「50年前の合計特殊出生率は2を超えていた」「50年前は労働者の数と総生産量が比例していた」「現在は合計特殊出生率が1.5を切っている」「現在は労働者の数と総生産量が比例しない」という4つの事実から結論を述べるのが2のパターンの文章です。

 

文章の全体構造としてこの2つのパターンがあると理解しておけば、眼前の文章がどのパターンの文章なのかが分かります。

結論を補強するためのテクニック

そして、結論を補強するためのテクニックとして良く用いられる方法に2項対立があります。

これは著者が言いたいこととあえて反対の意見を紹介し、この反対の意見に対して条件や事実をもとにして反駁することにより著者の意見の正当性を際立たせるという手法です。

2項対立のうち一方が著者の意見で、一方が著者が否定したい意見だということが把握できていれば問題を解くのに大いに役立ちます。この構造も覚えておいた方が良いと思います。

論より証拠、実際の問題で見ていきましょう

平成30年度大学入試センター試験の論説文で解説していきます。これが一番分かりやすいので載せます。高校生向けの文章ですから多少小学生が読む文章より表現は難しいですが、本質的な解き方は一緒です。

文章を全部載せると色々問題がありそうなので、部分的に抜粋するかたちで解説していきます。

平成30年度センター試験国語

第一問 問2

問2傍線部A「講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。」とあるが、それはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は6。

①ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生が授業内容の暗記をこころがけていくように、学習の場における受講者の目的意識と態度は、授業者の働きかけによって容易に変化していくものであるから。
②ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとっての授業の捉え方がさまざまに異なるように、私たちの理解する世界は、その解釈が多様な可能性をもっており、一つに固定されたものではないから。
③ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生の授業の聴き方は一人ひとり異なるように、授業者の教授上の意図的な工夫は、学生の学習効果に大きな影響を与えていくものであるから。
④ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとって授業の目的が明確には意識されないように、私たちを取り巻く環境は、多義性を絞り込まれることによって初めて有益な存在となるものであるから。
⑤ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生のふるまいが大きく変わってしまうように、特定の場におけるひとやモノや課題の間の関係は、常に変化していき、再現できるものではないから。

これが問題です。この問題を解く手がかりになる箇所は以下の通りです。

「これから話す内容をどの程度理解できたか、後でテストをする」

授業の冒頭でこう宣言(略)

講義とは何か。大きな四角い部屋の空気のふるえである。

または教室の前に立った、そしてたまにうろつく教師のモノローグである。

またはごくたまには、目前の問題解決のヒントとなる知恵である。

講義の語りの部分にだけ注目してみても、以上のような多様な捉え方が可能である。

世界は多義的でその意味と価値はたくさんの解釈に開かれている。世界の意味と価値は一意に定まらない

ちなみにこの文章全体としての趣旨は、「人間は対象となる現実をそのまま把握するのでなく、自らの解釈(デザイン)によって現実を別の物に置き換え行動する生き物である」ということをおおよそ2のパターン(事実の積み上げによる推論)によって述べている文章です。

2項対立は利用していません。

問2の、

「講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。」

という箇所は、

 

日常的なことだって、自らの解釈によって意味合いが変わるんだよね!

 

ということを言って、(人間は)「自らの解釈(デザイン)によって現実を別の物に置き換える」ということにつなげたいがための導入部分だと理解できます。

つまり、全体の趣旨と合致する選択肢を選ぶことによってこの問題の正解を導くことができます。

 

では実際に選択肢を振るい落としていきましょう。

①ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生が授業内容の暗記をこころがけていくように、学習の場における受講者の目的意識と態度は、授業者の働きかけによって容易に変化していくものであるから。

論旨とずれており違います。文章全体として「第3者の働きかけによって受講者の目的意識と態度が変化する」のではなく「人間の物事の捉え方が解釈によって変化する」ことを言っているからです。

第3者の働きかけの問題ではなく、人間本来の性質がそうだということを言っているのです。また、目的意識と態度の変化ではなく、解釈の変化です。

②ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとっての授業の捉え方がさまざまに異なるように、私たちの理解する世界は、その解釈が多様な可能性をもっており、一つに固定されたものではないから。

これは論旨に沿っています。一応、正解候補として残しておきます。

③ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生の授業の聴き方は一人ひとり異なるように、授業者の教授上の意図的な工夫は、学生の学習効果に大きな影響を与えていくものであるから。

論旨とずれており違います。「授業者の意図的な工夫が学生の学習効果に大きな影響を与える」ということではなく、「人間の物事の捉え方が解釈によって変化する」ということを言いたいからです。

「(授業者の)意図的な工夫」によって解釈の仕方が変化するのではなく人間本来の性質として解釈の仕方が変化すると言っているのであり、この選択肢は文章全体の趣旨と異なります。

そもそも「学習効果への影響」ではなく、「物事の捉え方」が変化することを言っている文章でありますから二重の意味でこの選択肢は文章全体の趣旨と異なります。

④ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとって授業の目的が明確には意識されないように、私たちを取り巻く環境は、多義性を絞り込まれることによって初めて有益な存在となるものであるから。

これは言い過ぎです。「私たちを取り巻く環境は、多義性を絞り込まれることによって初めて有益な存在となる」なんてことは文章中では一切言っていません。

あくまで文章で言っていることは「人間の物事の捉え方が解釈によって変化する」です。

⑤ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生のふるまいが大きく変わってしまうように、特定の場におけるひとやモノや課題の間の関係は、常に変化していき、再現できるものではないから。

これは論旨とずれています。「特定の場におけるひとやモノや課題の間の関係は、常に変化していき、再現できるものではない」のではなく、人間というのはそもそも「物事の捉え方が解釈によって変化する」ということを言いたいからです。

それっぽい選択肢ですが、「特定の場におけるひとやモノや課題の間の関係」ではなく、そもそもの性質として人間は「物事の捉え方が解釈によって変化する」ということを文章全体として言っているので、論旨とずれています。

 

繰り返し言いますが、この文章の構造上、問いで問われている箇所は結論を導くための導入箇所ですので、文章全体の趣旨と合致するものを選べば良く、

よって正解は2です。

 

2を「一応、正解候補とする」と言ったのは、より難しい問題ですと二つ以上の正解候補となりそうな選択肢が残ったりして更に吟味する必要が出てくるからです。

 

全体構造と著者の言いたいことの理解の大切さ

さて、上で少し解説したように、著者の言いたいことを把握して、全体構造を理解し、その全体構造の中で設問で問われている箇所がどのような役割を担っているかということが解答を導くということがお分かりいただけましたでしょうか?

 

全体構造を理解するには、

1.条件を積み上げて結論を導き出すパターン

2.客観的事実を積み上げて結論を導き出すパターン

というパターンと、

2項対立

というテクニックを知っていると容易であり、

 

設問で問われている箇所が、

文章全体の構造の中で、条件なのか、客観的事実なのか、著者とは反対の意見なのか、著者の意見そのものなのかということが

把握できていれば設問を解くのは容易です。

 

センター試験の問題というのは簡単ですので訓練にはちょうど良いと思います。選択肢が論旨と合っているかを照合するだけで容易に解けるからです。

 

通常はこんな感じで解いていきます。

1.論旨と合っているか ← センター試験の問題はこの判定でほぼ解けます

2.論旨と合っているが言いすぎていないか

3.論旨と合っているが言葉足らずである

 

この3つの判定条件によって論説文は解けます。選択肢の問題でなくとも、記述式においても論旨と合う記述を、過不足なく記述に盛り込む、ということによって解けます。

 

国語については今後もちょくちょく解説していこうと思います。

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