上野千鶴子氏による東京大学学部入学式の祝辞に思う、人の生きる世界の狭さと幸せ

上野千鶴子氏による東京大学学部入学式の祝辞が何かと話題になっております。
平成31年度東京大学学部入学式祝辞全文を読んで頂けると良いのですが、まぁ真っ当な内容をお話いただいたというしかないのでありまして、何が話題になるのかさっぱり分からないのであります。
祝辞にふさわしくないとのお声もあるようですが、出席者全員にラリホーをかけてしまわれた過去の某蓮実氏の祝辞を聞いたことがあるのでしょうかね。祝辞としては異様な47分間という大演説を前にして出席者の意識はほぼ奪われまして、途中でぶっ倒れる人もおりました。
その時の様子を東京大学教養学部長の太田氏が式辞として述べておられます。
祝辞がふさわしいかふさわしくないか、受け手の解釈は色々でしょうが、少なくとも東京大学は上野千鶴子氏を指名し、上野千鶴子氏は受諾しました。この事実の意味をどう受け手が受け取るかというのが最も大事な気がいたします。
上野千鶴子氏は言わずと知れたパンクな学者でございます。
壇上に立たせて話をさせたら、どんな話が飛び出てくるかは容易に想像がつこうものです。平々凡々、知のかけらもない私ですら想像つきますからね。それでも東京大学は上野氏を選び、話をしてもらった。
米津玄師さんを紅白に選出したNHKは彼に演歌を歌ってくれることを期待していますかね?いきなり「おふくろさん・・・!」とか歌い始めたらそれはそれで意外性があって面白いのですが、少なくともNHKは期待していないはずです。
同様に上野氏を壇上に招聘した東京大学は「みんなおめでとう!キラッキラの学生生活楽しんでね!」なんて祝辞を上野氏に期待しているわけ、あろうはずもありません。
私が最も心を動かされたのは、上野氏が毀誉褒貶、異論反論出てくるのは想像できたにも関わらずご自身を貫いておられた点です。たかだか東京大学の入試問題で時間制限内に合格最低点以上が取れたというだけの何者でもない子達を子供扱いしなかった点であります。
シド・ヴィシャスはどこまで行ってもシド・ヴィシャスなのでありました。
何を言っているのかくらいは彼らにも分かるはずでしょうが、本当の意味は分からなかったはずです。きっと彼らがこれから10年、20年経って実感として体で感じた時に「ああ、あの時の話はこういう意味だったのか」と気づくはずです。
親父の小言と冷酒は後できく。
どっかの居酒屋のトイレに掲載されておりましたありがたい格言でございます。
さて、前置きが長くなりました。
私が私立中高一貫校に入学した時のことであります。
行きたくもない学校に入学し、空気のような祝辞やご来賓の方々による気合のこもった役に立たない話を聞き、教室に移動した我々にした担任の話、今でも記憶に残っております。
担任の先生が入学式を終えた我々にした話
行きたくもない中学に入学する羽目になってしまった私は入学式が早く終わり、早く帰りたいという想いが胸中を満たしておりました。こいつらと同じ教室で、同じ机を並べてここに居たくはない、そんな傲慢な想いすらありました。
教室に入ると担任の先生が深々とお辞儀をし、我々に向けてこう話し始めました。
「あなたたちはここが第一志望じゃなかったかもしれません。でも私だってここは第一志望じゃないんです」
教室の空気が緩んだのを私は感じました。そして笑いが起きました。私も笑いました。
「あなたたちは今ここにいて、そしてこれから6年間で多くのことを学びます。そうすると、ここでの出来事が普通のように感じるかもしれません。でもそれは普通のことではありません」
続けて、
「一歩、外の世界に出ると色んな人たちがいます。私も社会に出てから初めて、自分がどんなレベルで学んできたのか、どんな世界にいたのか知りました」
この担任の先生は難関中高一貫校から難関大学に進学した先生でした。
「外の世界に目を向けていないと、自分たちのことが分からなくなります。ここで勉強できるのは特権です。多分、そう言ってもまだ分からないだろうけどね」
この言葉の意味が分かるまで私は数十年を費やしました。
それから6年、そして大学への入学。
私は言葉の存在など忘れ、自分だけの力で大学に合格したと思いこみ、勘違いに勘違いを重ねてただの馬鹿野郎になり下がっていたのでありました。
大学生になり経験した世の中というものの片鱗
大学に入り、最初の授業の時、春のうららかな日差しが差し込む階段式の教室で教授はこのように話をしました。
「君たちは上位0.5%の頭脳を持っていたからこの学校に入ってきた」
私たちは胸をはり、教授の言葉を聞いていました。
大いなる勘違いはさらなる勘違いの上塗りにより得体の知れないバケモノのように膨張していくのでした。言葉は恐ろしいものです。人をバケモノのように増長した存在へと変化させてしまいます。
初めて私が「外の世界」と接したのは運転免許を取るために教習所に通った時のことです。
教習所には大学生がいて、高卒の人もおり、あるいは社会人の人もいます。そこでは中高一貫私立校や大学のように均一化された学習環境ではなく、様々な人が集い学習する環境であります。
目つきがぼんやりして焦点の合っていない人、机に半身で座り携帯電話をいじる人、リノリウムの床に吐き飛ばされる唾、そういったものを目にして少々戸惑いをおぼえたものです。
この環境は一体なんだ、と。
中学、高校の学習環境との違い、大学との圧倒的な差。
もし、このような環境に身を置いていたとしたら私は必死で勉強をしただろうか、目標を目指すことができただろうか。そもそも周りを大学に入ろうという気もない人たちで囲まれていたら大学に行かないことが当たり前だったのではないだろうか。
その環境にいたとしたら、私は高校3年生の夏休み明け半年間とはいえ、努力することができたのだろうか?
ある環境における当たり前というのは怖いものであります。周りの当たり前によって当人にとっての基準値が作られます。
少なくとも私の通っていた私立中学、高校ではどんなに成績の悪い生徒でも試験前になれば勉強をしておりました。
でもそうじゃない環境だとしたら?
頭が良いかどうかよりも、そもそも勉強という土台で努力できていたかどうかすら疑わざるをえなかったのであります。
私は教習所で感じた今までにない違和感に、なんというのでしょうか、自分の常識のメッキが剥がれていくような感覚にとらわれたのでした。
バイト先で感じた不甲斐なさ
大学生といえばバイトなのであります。
セブンイレブンにバイトとして入ると、様々な仕事を仰せつかります。受け取り、検品、レジ、商品整理、発注、廃棄、掃除・・・、そのどれもが初めてでありまして、ちっとも要領よくこなせません。
バイトで主に私に仕事を教えてくれた先輩は高校生の女子。
どう贔屓目に見ても私の方が学歴では優っているのですが、その高校生から顎で使われる日々。だって、その子の方が仕事できるんだもん。もたついている私を横目に、さっさと商品を検品しつつ、客の動向を目で追いながらレジに一目散。
その間にも女子高生は飲み物の棚に気を配り、「補充!」と私を急き立て、サッササッサと仕事を終わらしていくわけです。
客のいない時間帯にレジ奥の控え室のような薄暗い場所で、監視カメラの映像を二人で見ながら女子高生は言いました。
「あなた頭いいんでしょ?店長が言ってたよ。今度の試験の勉強、教えてくれる?」
「いいよ、どこが分からないの?」
私は唯一得意な勉強という特技を活かして彼女から聞かれたことに答え、彼女からはセブンイレブンでの仕事の仕方を学ぶのでした。
私は彼女の質問に答え、彼女は私に仕事の仕方を教える共犯関係。
「こんなに頭がいいのにどうしてさっさと仕事できないの?」
彼女は複素数も3次元のベクトルも分からなかったけれども、セブンイレブンでは私の師匠なのでした。
頭がいいってなんだろう?勉強してきた価値ってなんだろう?私はひどく悩みました。
テストで良い点数をとったり、良い大学に入ったりする、自分の中ではそれが全てだと思っていたわけではなかったんです。頭では、勉強よりも大事なことがある、なんて思ってたりしました。
でも、実際はそれが価値の大半を占める環境に私は置かれていて、そこで勝ち抜いてきたことが全てのように感じていたに違いありません。
狭い狭い2畳半の世界で生きていたら、突然別の狭い世界からやってきた女子高生と出会ったんですね。
そして、感じたんです。
ああ、自分は真っ当な普通の世界で生きてきたと感じてきたけれども、実際は狭くて偏った世界だったんだなぁ、と。
先生と言われることの罪深さ
セブンイレブンでのバイトにて多少は要領を掴めた頃、私はもっと自分を活かせる場所があるのではないかと思い、クイズを作るバイトや塾講師などを始めました。
そこではまた、私は先生と呼ばれるわけです。
「うちの子をお願いします」
「成績をあげてください」
「週2で家に来てください」
セブンイレブンのあの子に指摘され続けた私は、違うフィールドでは先生と呼ばれていました。
検品で戸惑っていたあの時の私、明らかな50過ぎのおっさんを「29」と打ってしまう私。
「HAHAHA」と笑う女子高生。「ごめんね」と言いながら何かを傷つけられたような名状しがたい感情に耐えきれずセブンイレブンを辞めて「先生」というフィールドに逃げ込んだのでした。
先生という存在でいる限り、私は私の尊厳を守れたから。
逆に女子高生はセブンイレブンの先輩という存在でいる限り彼女自身の何かを守れていたのでありましょう。
生きやすい世界の中で勘違いをしながら生きていく。
手頃な幸せなのであります。
女子には生きづらく男子にはまた生きづらい世間
その後もまた様々な人との出会いがありました。
中学生で人生を諦めて自暴自棄になり、良からぬ行動を取り今は消息不明の女子。
「いいお母さんになりたいだけ」と言い、自分よりも20も上の人とお見合いで結婚していった女子。
夢を追って大学を辞めていった男子。
全く理解のできない思考回路で、全く理解のできない選択をしている、そう思っておりました。
ただ、当人たちにとってはそれが最善の選択だったのであり、その人にとっての最善の選択は生きてきた環境によるのであります。生きてきた環境が違えば、思考方法は異なります。選択も異なる。たとえ、日本という狭い社会ですら。
人は2畳半の狭い世界を心地よく思い、たとえ外の世界の大きさを知ったとしても、幸せな2畳半に安住したく思うのでありましょう。
バイトで要領悪く、どうしようもないミスをする世間知に欠けたかつての中学受験生が、なぜ自分自身がそのような人間になってしまったのかに気づいたのは、あの時の担任の「まだ分からないだろうけどね」という言葉から30年ほど経ってからでした。
上野氏の言葉
東京大学であのような祝辞があった意味
他でもない東京大学がそういった場をセッティングした理由、
ポカーンとしていた入学生
論評をする第3者
それぞれの思いや関係が分かりすぎるくらい分かりすぎて、上野氏の言葉に賛辞も批判もできず、ただ真正面からあの場をセッティングした大人たちの心意気と優しさと、そして厳しさに涙するのであります。
彼らの素晴らしい人生を祈念しつつ、真っ向から言葉を突きつけた上野氏に最大限のリスペクトを。
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