ピエール瀧氏に群がり食い尽くそうとするバケモノの正体(石野卓球氏は無関係)
- 投稿日:2019.04.08
- 教育一般
もはや、ピエール瀧氏の問題なのか石野卓球氏の問題なのか分からないほど、石野卓球氏の周辺はかまびすしく、さながら場外乱闘のていを成してきているかのようであります。
まるで蝶野正洋氏に殴られていた辻氏(仁成じゃないよ)と石野卓球氏がかぶって見えるくらい混沌としてまいりました。異なるのは辻氏が少しだけ嬉しそうに「何をするー!」と右の頰をはたかれたら左の頰も差し出していたのに対して、石野卓球氏は世間の喧騒など知らないかのようなたたずまいでありまして、これをもって世間では「アイツはなんなんだ!?」となっているのでありましょう。
ただ、30年前から電気グルーヴ(人生、そして瀧勝)を知っている身としてはこの状況は石野氏の平常運転にしか見えないのであります。人生をかけてふざけてますからね、あの方々。
これが良識あらたかな方々には癪にさわっているようで、「反省が足らん!」となり、振り上げたこぶしの振り下ろしどころを模索している最中でありまして、要するに落としどころさえ見つかってしまえば雲散霧消する騒動なのかと。
例えば、また誰かが逮捕されるとか、あるいは全日本を感動のるつぼに嵌め込む、圧倒的な何かがあれば消し飛んでしまう、というわけですね。
逮捕ならこぶしを、感動ならばこぶしを抱擁に代えて。
ただただ、感情をぶつける誰かを探し求め、自分がスッキリするような解決法を相手に求めるのでしょう。
そのうち不倫騒動とかで被害者の妻とか夫にも反省を求め始めるようになりますよ。
「なぜ、あなたは夫の(妻の)不倫に気づかなかったんですか?説明責任があるはずじゃないですか?」
「もしかしたら、不倫関係にあるという事実自体を容認していたのかもしれませんよね!」
「特異な夫婦関係に、ある種の気持ち良さを求める異常性を感じます。そこのところどうなんですか?」
とかね。
結局のところ、誰かを叩くのも、誰かを褒めそやすのも、感動したと泣くのも本質は一緒なのであります。
感情のたんつぼを皆が探している状態と言いましょうか。メラメラと燃え上がる正義感や共感のたんつぼを、ただただ石野氏に求めている状態が今!なのであります。そして本質的には誰でもいい。たんつぼの人格なんか知ったこっちゃないのであります。
いや、素晴らしいですね。ハロー、ファッキンワールド。
ところが、当の石野氏はたんつぼになる気も、カウンターパンチを浴びせる気もさらさらないのでございます。テレビのコメンテーターは一方的に殴って相手が痛がってくれたり、「このやろう!」と応戦してきたりするのを期待しているのでしょうが、石野氏のリアクションはギャグと愛なので殴り甲斐がないというわけです。
テレビのコメンテーターなる方々は頭のてっぺんからつま先まで芸人でございます。
世間の感情(笑)芸人。
ですから、どこまで本気で「反省せぇよ!」と言っているかはうかがいしれません。性根がアレなのではなく、職業としてやっているんですよ。どうか電気グルーヴのファンたるものコメンテーターを叩かないでいただきたいものです。
世間の感情(笑)なるものは怖いものであります。人間たるもの正であれ負であれ厄介な荷物のような感情を抱えているものです。子供でも、大人でもね。普通は子供から大人になるにしたがって、その感情を適切に処理していく方法を学び、人に危害を与えなくなるようになるものなんです。
ちなみに人を殴っちゃいけないって教わりましたよね?なんでですか?なんで人を殴っちゃいけないんですか?
傷害罪だから?
傷害罪に当たるかどうかは表面的な話であります。傷害罪に当たらないように感情で人を殴らないのであれば、同じく傷害罪に当たらないから感情をもって人を言葉で傷つけるのであります。
うーん、私にはこぶしで殴るのも、言葉で人を殴るのも同じに見えるんですよね。自らの感情を適切に処理できていない点において。その感情の行き所や落としどころがピエール瀧氏だったり、石野氏に向かうと。
私は人を傷つけ、社会的に復帰不可能な状態にする「感情」というバケモノを退治できないのだったら、そういった人たちはコカインをやればいいと思うんです。コカインで気持ちよくなればいいと思うんです。あ、間違えました。コカインはダウナー系の薬物ですから、「落ち着けばいい」というのが正解ですね。失礼しました。
だって、コカインなら人を傷つけないで済みますもの。テレビのコメンテーターは真昼間から液晶の向こうの視聴者に向かってこう言えばいいんです。
「モヤモヤしたものがあるんですか?だったらコカインです!旦那の不手際も、子供の馬鹿騒ぎも、そして関係のない第三者への怒りもコカインが解決します!ラブ&ピース!」
職業としてやっているテレビのコメンテーター。壮大な理想のもと、大々的に感情を揺さぶる言葉をツイートする方々でありまして、一概に彼らを責められないのであります。何しろ、感情を揺さぶることが求められているからね。
ただ、私が唯一気がかりなのは彼らが自分の職業をどうやって子供に説明しているのかです。
「パパの(ママの)職業はね世間の負の感情を代弁して一人の人間を再起不能になるまでぶっ叩くことなんだよ」
って言えますかね?
それ聞いて子供が「わーい、パパ(ママ)の職業尊い!マジリスペクト!」って言えますかね?言えませんよ。普通に考えたら「こえっ!」って思うはずです。
さてさて、ピエール瀧氏に社会的責任があると言っている方々の論拠は「人に迷惑かけた」という点なのであります。うーん、これは間違いないですね。確かに関係各所が勝手に自粛して、勝手に自分の首をしめて、勝手に迷惑をこうむっております。ドMかよ。
社会が攻撃体制に入るスイッチが押された瞬間、関係者が全員ドMになるという伝統芸。まさに歌舞伎の「見得を切る」状態であります。私には舞台から観客席に向かって全員でケツを突き出しているように見えるのです。
確かに関係するサラリーマンには多かれ少なかれ迷惑はかかっているものと思われます。それをもって瀧氏に責任があるとするのも分からなくもございません。
でもね、サラリーマンの給料ってのは迷惑料も込みなんですよ。何かあった時には体を張って凡夫には到底真似のできない稀有な才能を守る、それはサラリーマンの立派な仕事です。
稀有な才能からおこぼれを頂戴してきたんだから、最後まで守ってやれよ、と。ケツを突き出してる場合じゃねえだろ、と。ああ、とても下品な言い方になってしまいました。許してください。
瀧氏は人生をかけてふざけ続けてきた人です。
多くの人が彼のおふざけに共感して、多くの人が愛し、そしてメジャーになった。
あなたは人生をかけてふざけ続けることなんてできますか?私はできません。どこかで怖くなってしまうはずです。
でも瀧氏はおふざけを貫き通し、今の地位まで到達した。彼の名人芸、生き様に我々は共感し、金を払う。ま、最近は俳優とかやっていたので、彼のおふざけを知らない人も多いでしょうけども。
少なくとも私はそんな瀧氏のことが好きです。
まともじゃないことを貫き通して自分の世界を作ってしまった彼の辣腕に私は惹かれております。
電気グルーヴでコンビを組む石野卓球氏も彼のファンだったのでしょう。瀧氏にはそれくらい強い個があって優しい存在なのであります。そんな人たちが増えてきて、瀧氏はそのキャラクターで多くの金を稼ぐようになりました。当然、おこぼれにあずかる人も増えてきたわけです。
そのおこぼれ、責任もセットですよね?普通に考えてそうじゃないですか?
だから守れよ、と。全力で守れよ、と。ってか仕事しろ。と私は思います。
何はともあれ、寛容でありたいものです。
現在の法律ではコカインは立派な薬物ですし、仮に瀧氏が容疑通りだったとしたら相応の罰を受けます。石野卓球氏は瀧氏の逮捕とは今のところ何の関係もありません。テレビのコメンテーターは職業として無関係の人を殴っています。周りを取り囲むサラリーマン諸氏は何かが怖くてケツを突き出しております。
誰も責められません。
ただ、「世間」という見えざる何かが、何かを責めるように普通の人の頭をシェイクして胸をざわつかせております。その正体はというと、たんつぼに入りたがっている感情なのだろうと思います。
本当は感情を外に向けるべきでないのは皆が理解しているのでしょうが、さりとて適切に処理できないバケモノの処遇に困っているように見えます。
そして、ある人はテレビに向かって独り言を言い、ある人は攻撃的にツイートし、ある人は筋トレで解消する。
処理方法は人それぞれですが、是非とも人に危害を加えない方法で処理して頂きたいものです。
かくいう私も、最近は気が張り詰めておりまして何も書けない状態が続いていたものですが、適当にペラペラペラペラと指に任せるままにこのような考えなしの文章なぞを書いておりますと、何か気が晴れるような気がしてくるのでありました。
書くことも感情の処理方法の一つであります。
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