【中学受験】消えた中学受験塾たち 桐杏学園・山田義塾・TAP・指導会
桐杏学園、山田義塾、TAP、指導会・・・、なんて聞いて何のことかお分かりになりますでしょうか?
首都圏で80年代後半から90年代前半頃に中学受験をご経験された方でしたらピンとくるかと思いますが、今まで全くご縁のなかった方は一つも分からないかと思います。
上の4つの塾は全て消えた中学受験塾です。
正確に言いますと、桐杏学園は市進グループに参入し小学校受験を主戦場にすることで名前が残っておりますが、他は見事に消えております。
参照:桐杏学園ウェブサイト 会社案内より
これらの消えた塾は規模が小さくて経営的に成り立たなくて消えた訳ではありません。上にあげた塾はどれもそれなりの規模と実績を誇っておりました。開成行くなら桐杏学園、武蔵行くなら指導会とか言われていたものです。
では、なぜ消えたか?
そして、当時はどんな立ち位置だったのか?
といったことを当時キラキラ☆四谷大塚キッズだった私が精一杯記憶を掘り起こしながら話していきたいと思います。まるでどっかのジジイにそそのかされて山に松茸を掘りに行くような心境になってまいりますね。
なお、記憶のみに頼って書いておりますので事実と異なるかもしれない点、ご容赦ください。
当時の小学生が見た、消えた中学受験塾たち
普通の小学生は、よその塾の事情など分からないものであります。
ところが、80年代後半の四谷大塚には首都圏各地の塾の子たちが集まってきておりました。机を並べていると否が応でも聞こえてくる他塾のスタイル。仲良くなったりすると、「今、どんなことやってんの?」とか聞けましたし、コッソリと破廉恥な本が手元に回ってきたりしたものです。
破廉恥な本は学習スタイルとは関係ありませんね。大変失礼いたしました。
私はと言いますと中学受験を始めた、つまり塾に入ってすぐに受けた合不合判定テスト(四谷大塚の実施している模試)でなぜか良い点数が取れまして四谷大塚に潜り込む運びとなりました。そこから私と四谷大塚のくんずほぐれつが始まります。
ツヤツヤ☆四谷大塚キッズの萌芽でございます。
消えた塾① 桐杏学園について
これはもうやばい塾でございました。何がやばいって開成合格実績が半端なかったんです。とりわけ桐杏学園の西日暮里校はエリート中のエリートが集まっておりました。
↑の魔窟のような場所に首都圏のエリートキッズが勢揃いしておりました。
桐杏学園が作り出したのは数多くの開成っ子だけではございませんでした。ある種のやばい中学受験塾のテンプレートをも作り出していたんです。
80年代後半から90年代前半にかけて中学受験塾はワイドショーの格好のネタの一つでもありました。
夏合宿と称して志賀高原(てゆうかなんで志賀高原だったんだろう?)でエイエイオー。
正月特訓と称しておせちも食べずに公式を貪る子供達。頭にはハチマキ、そしてむさ苦しい講師が「合格するゾォー!」と雄叫びをあげ、20人にも満たない教室がX Japanのライブ会場のようになる。
「合格するゾォー!」
「We are???」
「エッックス!」
多分、こういうやばい中学受験のイメージを視聴者の皆様方に植えつけたのは桐杏学園の功績でございます。こういう体育会系の中学受験指導をしていたのが桐杏学園でございます。四谷大塚では少なくともこういう光景なかったんです。
中野校にきていた桐杏学園の生徒も何となくガツガツしていたイメージがございます。開成クラスだの桜蔭クラスだのといった連中が集まってきていましたがなんか汗臭いのであります。
今も昔も牧歌的な四谷大塚に現れたエリートで体育会系でませた連中、それが桐杏学園の連中でございました。
消えた塾② 山田義塾について
埼玉県を中心に一大勢力を誇っていた山田義塾。というか、埼玉県ではナンバーワンだったんじゃないですかね?
この塾は四谷大塚の準拠塾でございました。ですから、我らが四谷大塚の日曜教室にワンサカやってくるわけであります。多分、合不合判定テストを受けるように言われていたのでありましょう。教室で埼玉出身と言いますと、大抵は山田義塾でございました。
この山田義塾という塾ですが、山田圭佑という創設者が主催していた塾でありまして、ご多分に漏れず夏合宿やら正月特訓やらをやっておりました。
ここの生徒に聞くと、
「山田義塾には歌がある」
と。
「はぁ?歌?」
で、無理やり歌わせてみますと、
「やぁまぁだ ぎぃじゅぅくぅー」
なんて歌を歌ってくれたのは良い思い出でございます。
さて、そんな山田義塾ですが、私どもの四谷大塚にくるのは優秀な生徒が多かった印象がございます。で、聞きますと山田義塾の各校上位層が四谷大塚に来ている模様なのであります。
つまり、四谷大塚に来ている山田義塾生は、山田義塾の中のトップエリートなのだと。中でも四谷大塚の中野校に来る連中は埼玉のスーパーエリートなのだと。
とくに山田義塾の南浦和校。南浦和からえっちらおっちら京浜東北線に乗ってやってくる生徒の多かったこと。で、結構優秀だったんです。山田義塾のみならず、四谷大塚でもトップ層。どんなにか素晴らしい塾なのかと思いきや、この塾は内紛で壊滅状態となりました。
内紛騒動は私が高校生くらいの時に知りました。
一部の先生が山田義塾を離れ、一部の先生は残ってTHE義塾やらSHIN義塾やらを立ち上げ継続するとかしないとか、大変もめていたのでありました。SHIN義塾って。お前、庵野秀明かよ。
消えた塾③ TAPとは
私が6年生くらいになりますと盛んにTAPという塾の名を聞くことになります。
え?TAPってなに?それ××できんの?という状態でありましたが、身近に現れたTAP生はおっそろしく優秀なのでありました。
噂話のレベルを脱しないのでありますが、何やら「すごい選抜試験があるらしい」「予習をしないらしい」「首都圏の頭のいい奴らが集まるらしい」とかいう「らしい」を総合するとすんげえ塾が現れた、と当時の私は思いましたよ。
こういった話は噂話の文脈で広がっていくものでございます。
TAPすげえ、やばい、超エリートなどと聞きますと実態は分からないにもかかわらず恐れおののいてしまいます。
見えないものというのは実態よりも恐ろしく感じるものです。
噂話の域を出ない話ではございますが、分裂して一部の講師陣がSAPIXを作ったとかなんとか。
今から考えますと大変マーケティングのうまい塾だったのかと思います。SAPIXと同じくね。
集団授業形式で生徒の学力を決定づけるのは、「生徒の資質」が9割以上であります。
つまり、そもそも頭がいいか悪いかで受験における学力はほぼ決まってしまう、と。ああ、正確ではないですね。受験向きの頭をしているかどうかが学力を決定づけるというわけです。
すると、中学受験塾の戦略としては頭のいい子を囲い込むためにはどうするか、そして頭のいい子、あるいは頭のいい子に仕立て上げられるだけの財力を持っている家庭を囲い込むにはどうするかがメインイシューとなります。だって、頭のいい子、もしくは財力で頭がよくなる子を囲い込むのは合格実績につながりますから。
経営に大きく影響してくるじゃないですか。
合格実績は金。つまり、塾の生き残る道に通ずるってわけ。
TAPという塾は魔力たっぷりの噂話で我々を籠絡してきました。実際の授業力、指導力がいかほどのものかは知る由もございません。ですが、優秀な連中が集まる、と聞けば赤子の手を三回転半させるくらいの威力がありました。
SAPIXも同様、魔力たっぷり。実績たっぷり。ちなみに初めにSAPIXという名前を聞いたのは私が中学生に入ってからのことです。優秀という文脈でテレビや雑誌等で取り上げられたものです。
マーケティングがうまい塾なのだなぁ、としみじみ思ったものです。
それだけじゃねぇだろ!と叱られてしまうかもしれませんね。ええ、それだけじゃないと思いますよ。
でもね、SAPIXって言ったら優秀とか、選抜されてきた子とか、そういうイメージが湧くでしょ?
イメージが湧く時点で何かしらの細工が施されているのではないかと邪推してしまいます。
だって、四谷大塚って聞いて何か良さそうなイメージ湧いてきます?予習ですって?「面倒くせえ」ってイメージしか湧きませんよ。
ちなみにTAPには前東京都議会議員のおときた駿氏も通っていたようです。
消えた塾④ 指導会とは
武蔵と言えば指導会と昔は言われていたものです。
御三家の一角への圧倒的な進学実績。
実はこの塾のことを私は直接的には殆ど知りません。だって、日曜教室にいなかったんですもの。聞こえてくるのは武蔵に強い、という一点張り。
武蔵中学という中学校の問題は昔から独特なものがございました。開成中学の問題は今でも正統派ですが、武蔵はやっぱり少々違います。同じ御三家でも独特なのであります。
ですからきっと独特な塾だったんだろうなぁ、と思いつつアレコレ検索してみますと先生が生徒からあだ名で呼ばれていたとかなんとかかんとか。
やっぱり独特だったのでしょうね。
生き残った塾
消えてしまった塾もあれば生き残った塾もあります。
たとえば我らが四谷大塚。そして日能研。え?SAPIX、早稲田アカデミー?
そんなの、私の小学生時代は影も形もありませんでしたよ。
現在も大手塾として生き残っている四谷大塚と日能研。この2塾が80年代後半どんな存在だったのか、あくまで私の目で見た印象で話していこうと思います。
生き残った塾① 日能研
私が塾に入った当初はあまり見かけなかった、青いカバンにNの紋章、遠くからでも反射素材でピカピカ光る連中。Nの方々は日に日に、年を重ねるごと次第にチョロチョロ目につくようになってきました。
「Nってなんですか?」
と私は先生に聞いたものです。
「あれは日本脳炎研究所と言ってな」と冗談混じりで先生が返しました。まあ、まだ余裕があったんでしょう。
でも、冗談じゃないくらいNバッグは増殖していきました。どうやら神奈川の方で勢力を誇る中学受験塾で、麻布にめっぽう強いらしい、と情報通の母から教えてもらったのもこの時です。
で、このNバッグの連中ですがとにかくうるさい。キャッキャ、キャッキャしてるんですよ。道路と言わず、駅のホームと言わず、電車の中でも。
超仲良さそう、なんか羨ましい。
四谷大塚生は基本的に血族的なつながりみたいなのはなかったんです。日曜教室に集まって、テストを受けて、各々帰って行く。何しろ午前と午後でクラスが分かれていましたから、午前や午後が終わったら帰らなきゃいけないんです。
来ている生徒は皆、様々な塾、様々な校舎の生徒。
つまりは烏合の衆。
そして準拠塾の面々にとっては四谷大塚に来ていること、とりわけ中野や御茶ノ水に来ていることは各塾、各校舎を代表して来ている、といったような矜持がございました。そんなん私だけですかね?
(四谷大塚は成績の順に校舎が分かれておりました。中野はトップ、次が御茶ノ水)
だから、キャッキャ仲良くやるよりも、テストを受けて校舎で生き残り、故郷の地元塾に凱旋しなければならない、と私どもは必死だったんです。
そんな私たち四谷大塚生にお構いなしに戯れるNのカバンたち。重さと軽さ。
四角い頭を丸めてやろうか、この野郎。
おやおや、言葉が悪くなってしまいましたね。
生き残った塾② 四谷大塚
さあ、真打登場です。
四谷大塚という塾は80年代後半には間違いなく最強の塾だったんです。なお、四谷大塚が台頭する80年代以前は日本進学教室という伝説の塾がございました。
私よりも干支で一回りくらい上の世代は日本進学教室に通って難関中学を目指したものです。
近所に日本進学教室に通って開成中学に受かった子がおりまして、私が幼稚園児の頃に「あのお兄ちゃん開成中学に受かったんだよ〜。すごい中学校なんだよ〜」と聞かされた記憶がございます。
塾の歴史は栄枯盛衰。私よりも上の世代では栄華を誇っておりました日本進学教室も、四谷大塚の登場とともにツンツルテンになってしまいます。その一番の要因は予習シリーズの存在だと言われております。
日本進学教室は基本的にテストのみの塾だったと聞いております。
私よりも干支で一回り以上も離れた親戚のお姉ちゃんがおりました。彼女は中学受験をしました。当時は日本進学教室が全盛期、そして四谷大塚に取って代わられようとしていた時期であります。
この頃の中学受験は家庭で参考書をベースに勉強して、日本進学教室でテストを受け自分の立ち位置を測るとともに、実力をつけていく。そして、その延長線上に桜蔭や女子学院があるという時代でございました。
これを体系的に整理して予習シリーズという最強のテキストに落とし込んだのが四谷大塚。
知恵を形にまとめた存在、それが四谷大塚。その知恵を授業形式で伝えた、それが準拠塾。
私が受験勉強をする頃になると日本進学教室なるものは木っ端微塵に消え去り、代わりに予習シリーズを主教材に使う準拠塾が雨後の筍、赤松の根本の松茸式に勃興していたものです。
四谷大塚の教材は今も昔も予習シリーズ。ええ、そんなのは誰でも知ってますよね。でも、実はほとんどの生徒は効果的な使い方を知らない。
確かに我々、地元塾の代表選手たちはもともと受験向きの頭をしていたのでしょう。でもそれと同時に授業までにきちんと予習をやってたんです。各々の予習シリーズとの向き合い方を携えて。
成績が悪い子ってのは予習をしない。ちゃんと使わないから予習シリーズの使い方も分からない。だから成績が悪い。そりゃ当たり前でしょうが。
やればちゃんと応えてくれる教材ですよ、予習シリーズ。
各塾のテキストを比較しても、予習シリーズほど成績向上の再現性が高いテキストはないと考えております。
講師の質はどうかって?いやいや、そんなものは人によりますからあてになりません。どこの塾だって授業がうまい先生がいれば、下手な先生もいます。
でもテキストは違います。テキストは誰のテキストも、どこの校舎のテキストも一緒です。したがいまして能力向上の再現性が高い予習シリーズを作った四谷大塚、私は最強だと思うわけです。
あ、すいません。うっかり、四谷大塚への愛が溢れてしまいました。
ところが、準拠塾では予習しないでヘラヘラ授業を受けにくる子供ばかり。だから、予習をするだけで差がつく。てゆーか、予習シリーズを予習のために使って、授業受けてりゃ勝手に実力つきますから。
塾の講師や家庭教師をしていた頃、四谷大塚系統の塾に通っている生徒の成績をあげるのは本当に簡単でした。予習の意味と予習の仕方についてしつこく教えて、追い回すかのように予習をさせるだけで成績が勝手に上がるんですもの。
私が四谷大塚に通っていた頃、成績上位陣は例外なく予習していましたよ。
四谷大塚生は誇りを持っておりました。
各塾、各校舎の代表として四谷大塚で学べる誇り、中野、御茶ノ水で学べる誇り。
だから一所懸命、予習するわけです。
それは、やらされの予習ではありません。
自らの塾という看板と、自らの存在価値をかけた予習だったんです。
塾が消えてしまった理由
桐杏学園、山田義塾、TAP・・・、それぞれが消えてしまった理由は内紛やらそれに類した名物講師の離脱にあったと後々私は知ることになります。指導会は知りません。
おそらくは塾という産業自体が労働集約的で、ノウハウビジネスであるがゆえ、他の産業に比べて独立が容易なのでしょう。
一人のカリスマ講師が生徒を引き連れて独立してしまうことで決定的なダメージを負ってしまう業界。それが塾産業なのだったと思います。ただ、昨今の塾の様相は違います。積み上げられてきた知をシステム化し、容易に追随できないように学習システムを構築した業界のように見えます。
たくさん出される宿題、息つく間もない授業。その中で必死で頑張る親と子。
それは塾の作り上げたシステムなのでありますが、確実に意味があるわけです。そして意味が分からないと苦行になってしまいます。
塾を苦行にしないために、一つでも上に行くために必要なのは意味を分かって勉強させること、意味を分かって勉強することなのかと思います。
四谷大塚、ラヴ、フォーエバー。
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