2019年、必死に戦った中学受験生への手紙

2019年、必死に戦った中学受験生への手紙

元中学受験生が、2019年の中学受験生に贈る言葉。

良い6年間を過ごしていただけますよう心から願っております。

君たちが身につけた能力

2019年の中学受験はすでにほぼ結果が出た。

君たちにお疲れ様、と言いたい。

 

結果に満足だった人も、不本意に終わった人にとってもすごい戦いだったと思う。

生まれて初めて経験する本気の勝負。

 

君たちが得たものは合否という結果だけじゃない。

すごいすごい問題解決能力を得たんだ。合格したこともしなかったことも同じくらい価値がある。

一生の宝物を得ることができたこと、まずはそれを祝福したい。

 

ところで、君たちがその力を得られたのはどうしてなんだろう?

君は答えるかもしれない。

「必死で頑張ったから」

 

それも正解の一つだ。

ただ、正解は一つじゃない。

 

君のことを応援してくれ、お金を出してくれ、毎日寄り添ってくれたお母さん、お父さん、そして周りの人たち。

もちろん、塾の先生もだよ。

授業一つ取ってみたって並大抵のことじゃない。

努力に努力を重ねて、少しでもいい授業をしよう、一人でも多くの子に笑顔になってもらおうと、かげでは必死なんだ。

 

そういう周りの人たちが、君に生きるための武器を授けてくれた。

考える能力、という、ね。

 

何も感謝しろなんて言ってるわけじゃない。そもそも感謝ってのは「する」ものじゃなく、「芽生える」ものだ。

 

親に感謝しろ、周りの人たちに感謝しろって言われたって、心の底から感謝の気持ちが芽生えるわけじゃないよね。

僕だって身に覚えがある。

 

誰かの言葉をなぞるように「受験勉強を応援してくれたお母さん、お父さんありがとう」なんて言ったっけね。

僕が、僕のお母さんやお父さんに本当に感謝できたのは、そんな言葉を口にしてから約30年後だ。

 

30年。

 

君たちにとっては途方もない時間だよね。

社会がどんなところなのか、そして子供を持つってのはどんなことなのか、その意味を頭じゃなくて体で感じて初めて僕はお母さんとお父さんに感謝することができた。

 

だから君たちが僕の言葉を理解できなくても仕方ない。

君たちにとってはリアルじゃないからだ。

 

入学式まであと1ヶ月ちょっとだ。

ゲームや読書、友達とのサッカー、今までできなかったことを思いっきりやったらいい。

 

ただ、それでも僕は言う。

君にすごい力を授けてくれた周りの大人の人たちがどういう思いで君と向き合っていたのかを聞いてみたらどうかな?

そして少しでも知る努力をしてみるんだ。

 

知ることは本当に尊い営みだと思うよ。

知るからこそ、人の喜びや、痛み、愛情が分かって、それがわかるからこそ感謝が芽生えてくる。

それは与えられた感謝じゃない。

君が、君自身で育んだ感謝だ。

 

今までできなかった家の手伝いをしてみる、あるいは犬の散歩に行ってみる、お母さんやお父さんがどんな風に働いていて、どんな毎日を送っているのか聞いてみる。

 

君を取り囲む周りの環境は人の想いで作られている。

受験勉強が終わったからこそ、そのことを知っておいて欲しいんだ。

入学すると待っていること

学生服が届いた日のこと、僕は忘れていない。

こっそり羽織ってみたとき、少しだけ大人になった気がしたんだ。

照れながら家の前で写真を撮った。僕は結局行きたくない学校に行くしかなかったけれども、それでも有頂天だった。

 

入学すると待っているのは現実、現実、現実だ。

ほとんど乗ったこともない電車に乗って、大人の人たちにもみくちゃにされ、必死で学校に通った。

最初の1週間で、「これを6年間続けるのか」と思ったら、まるでおんぼろロケットで火星にでも行くかのような惨憺たる気分になったものだ。

 

少し慣れてくると君たちは思うかもしれない。

「どうして大人は毎朝こんなに疲れた顔をしているんだろう」

 

ある人は言う。

 

こんな大人になりたくないと思ったってね。

 

でも待ってほしい。

それはひどく表面的な理解だ。

月の表面を観察したからって月自体を理解できないのと同じように、人には表面に出ない想いがある。

 

疲れた顔をしている大人の人たちが必死になって家族を守ろうとしていて、そして子供達の幸せを願っていること。

 

知るっていうことと同じくらい大切なのは想像するってことだ。

想像力の欠如した世界に、優しさは生まれない。

 

こんなことを言っても理解されないだろうけど、伝えておくよ。

人が人を許したり、寛容になったりするのは、攻撃したり、責め苛んだりするよりもずっと難しくて、だからこそ尊いことなんだ。

 

僕がそのことに気づいたのは電車の中で立ちくらみを起こした時のことだった。

目の前が端っこから暗くなっていて、どんどん視界が狭くなってくる。脂汗をかいて、猛烈な吐き気に襲われ、しゃがみこんだ時に、疲れた顔をした大人の人たちが僕を助けてくれた。

ある人は声をかけてくれ、ある人は席を譲ってくれた。

ハンカチで額の汗を拭ってくれた人もいた。

 

表面的に人を判断しちゃいけない。

人の想いは顔に現れなくても、必ず心の中にあるものだ。

私立中学という狭いステージ

君たちの「考える能力」は10人に1人、いや100人に1人くらいのレベルに達している。

そんな子たちが集まっているのが私立中学、もしくは公立中高一貫校だ。

 

小学校では自分の分かっていることのレベルが、中学受験をしない子のレベルのはるか先をいっていると思っていたんじゃないかな。

でも私立中学、公立中高一貫校はそうじゃない。

 

10人に1人、100人に1人の子たちが集まっている。

同じ授業を受けて自分が理解したことのはるか先をいっている子だっていたりする。

 

そんな環境もいつしか当たり前のように感じられてくると思う。

でも、それは当たり前じゃない。

 

狭い世界にいると、これが世界そのものなんだ、と勘違いするよね。

僕もそうだった。

 

でも現実は違う。

君はすごい世界に身を置くことになる。そしてそれは、1/100くらいのレアな世界だ。

 

それを知ったのは僕が人を教える仕事をした時だ。

 

信じられるかい?

中学3年生で日本語が読めない子がいる。四則計算ができない子がいる。分数なんてなんのことか全く分からない。

論理的にものを教えようとしても、そもそもその土台にすら上がれない。

 

実は、君たち全員を合わせた人数よりも、土台にすら上がれない子の方が多い。

大きく世界を見渡してみると、君たちがこれから所属する世界はごくごく限られたすごく狭い世界なんだ。

 

そんなバカなと君は嗤うかもしれない。

でもいつか分かる。

日本語すら読めない中学3年生は君たちがそうなっていたかもしれない未来の姿だ。

 

多くの人の想いに囲まれた世界で、その想いによってたまたま君はステージに上がっているにすぎない。

そんなことも分からずに、自分は頭がいいなんてうそぶいていた、かつての君たちだった僕はそう伝えたい。

6年間は好きなことをとことんやってほしい

これからの6年間、君は何をしたいかな?

思いっきりサッカーをしたい、ゲームをしたい、いっぱい電車に乗りたい、クイズ選手権に出たい、天体観測をしたい、たくさん恋をしたい・・・etc。

 

オーケー。

どれも素晴らしいことだ。

 

是非やりたかったことをやってほしい。ちなみに僕はたくさん恋をした。大抵はうまくいかなかったけどね。

 

恋以外にもいっぱいいろんなことをした。

中学生のくせに文化祭の最終日の夜にお好み焼き屋でレモンサワーを飲んでヘロヘロになったこともある。

たった一杯のレモンサワーでヘロヘロになったんだ。

 

真似しちゃダメだよ。

 

今はコンプラがうるさい時代だからこんなことはできないと思う。30年前は学生服で酒を頼んでも「いいから飲んじゃいなよ!」なんて言う、気のいいおばちゃんがいたんだ。

 

僕の記憶にあるのはそうやって必死になって何かに打ち込んで、失敗した思い出だ。

逆にそれ以外のことはあまり覚えていない。

 

いいからやってみようよ。そのための6年間なんだよ。

 

放課後、薄暗い道で、ぼうっと光るN202の光。

少し汗ばんだ指と指。

目の前を通り過ぎる電車よりも大きな音でこだまする心臓の音。

多分、僕は幸せだったのだと思う。

大学を卒業すると

幸せな6年間が過ぎ、大学に入ると一気に世界が広がる。

地方から来た人たち。やっちゃいけないと言われていた数々の行い。

 

それらを自分の判断で、自分の好きなようにできるのが大学生だ。

 

ただ、僕は大学生活にどうしても馴染めなかった。

最高の6年間を過ごした反動なのかな。いろんな子と付き合って、自分のしたいことをしていたはずなんだけど、あの6年間に勝る時間は過ごせなかった。

 

やがて、就職活動だ。

おきまりのスーツに身を包み、おきまりの言葉を述べる。

君には想像できないかもしれない。

でもここでルールが変わるんだ。

 

今までは問題を解くことだけが世界の中心だった。

それがいきなり問われる、

「何をしたいんだ」と。

 

何をしたい?

 

僕はやりたいことをやってきただけだ。何かをしたかったわけじゃない。

しかも、それをお前に聞かれたくない。

 

人は目的意識なんてものを持ちながら人生を生きてるわけじゃない。

目の前のことをただただ一所懸命にこなしながら生きてきて、そして今ここに自分がいる。

 

ところが気づくと就職説明会には、難関大学と言われる学校の子たちばかりだった。僕もそこにいた。僕はあるカテゴリーに所属する人間だと思われ、その中でふるいにかけられようとしていた。

 

クソッタレが。

 

たまたま僕は、そのクソみたいな想いを許容してくれる会社に入った。巡り会えた。

そこからは一所懸命に働いて、どんどんのぼりつめた。

人をふるいにかけるこということ

僕は今、現場の責任者として人をふるいにかけている。

未来の君たちをふるいにかけているんだ。

 

僕なりに精一杯の誠意で君たちに接するようにしているつもりだよ。

かわいかった幼年期、愛情を受けて育った幼少期、諍いがあったかもしれない青年期。

そのどれもが人の想いで育まれ、今、僕の目の前にいる。

 

僕はそんな子たちを容赦無く切り捨てる。

 

面接っていうのは不思議なものだ。

面接はいいことを言う場だって勘違いしている学生も多い。

僕は役割柄、人よりも少しだけ多くの修羅場をくぐってきている。本音で話しているかそうでないかくらいはすぐに見分けがつくものだ。

それでも偽るのはなぜなんだろう。

訳のわからない面接対策本のせいなのかな。

本に答えが書いてある世界がこれから先も続くのかと思っているのかもしれないね。

 

違う。

 

僕は本音が聞きたいだけだ。君の本当のところを知りたいだけだ。いいことなんて一つも求めてない。ただ、人間と会話したいだけだ。

 

僕は思う。

 

僕が話しているのは目の前にいる人間なのか、それともクソみたいな面接対策本の化身なのか。

 

どこでどうこうなったのかは分からない。それでも切り捨てるだけだ。対策とやらに身を包んだかつての特別な子たちを切って切って切り捨てる。

それは、君たちが初めて経験するであろう、これまでとは全く違う土台の勝負だ。

世界は変わろうとしている

僕が昔見ていた世界と君たちがこれから見る世界は多分異なっているはずだ。

 

ちなみに今、世界で一番稼いでいるyoutuberは誰だか知ってるかい?

7歳のライアンくんだ。彼が稼ぐ年収は27億だ。

27億。人生を5回くらい回せる収入をたった7歳で稼いでいる。

彼はひたすら与えられたおもちゃに喜び、遊びまくる。

本当にそれだけだ。

 

あるいは、君たちは知らないかもしれないが、日本にも西野亮廣という人がいる。

彼は絵を1200万で売った。

 

しかもだ、信じられるかい?

彼はそれをクラウドファンディングという、今まで普通に生きてきた人たちが想像もつかないような方法で売った。

そしておそらく彼はその金を全部使って、また新しいことに挑戦するはずだ。

 

金にも組織にも既存の常識にもとらわれない生き方。

 

そういう生き方が可能になってきた。それが今だ。

実は、彼のように働き方やお金の稼ぎ方を再定義する人たちがポツポツと出てきている。

 

スマホはそんな現代における最強の武器の一つだ。

ところが、海浜幕張でも巣鴨でも西日暮里でも君たちの先輩はゲームに一所懸命だ。

 

悪くはない。僕だってゲームは嫌いじゃない。

でもね、そのスマホ。もっと刺激的で、最高にクールな使い方があるんだぜ。

 

君のお母さんやお父さんを含めた僕たちの世代はこういう変化にさらされている。見たこともない職業、見たこともない稼ぎ方。

これを可能にしたのはインターネットだ。

これからの10年は何が起きるのか想像もつかない。

 

僕たちはこの時代から逃げ切ることはできない。だから必死で考える。君たちはなおさらだ。

ぶっ壊れた世界で戦っていかなくちゃいけないんだ。

 

頭がいいかどうかなんて関係のない世界だ。

頭の良さの基準なんてあっという間に変わってしまう。

 

でも大事なことがある。

人間は人間で、その根源的な部分は変わらない。

 

僕は思う。

人は、多くのことを知り、経験し、傷つき、人の愛を知り、感謝が芽生え、人に優しくなれる。

 

その能力を君は授かったはずだ。

お母さんとお父さんの尽力で。

分からなければひゃっぺんでも聞くといい。

そして知るんだ。

 

君にとって良い6年間であることを望む。

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