映画「この世界の片隅に」あらすじ・解説(前編) 中学受験国語力養成講座

映画「この世界の片隅に」あらすじ・解説(前編) 中学受験国語力養成講座

映画「この世界の片隅に」あらすじ

広島の江波で海苔農家を営む家に生まれた長女の浦野すずは実家の手伝いで街に出かけたり、海苔作りを手伝う生活を送っていました。

すずが18歳の時にすずの実家のもとに「すずを嫁に欲しい」と北條周作とその父親が訪ねてきて、すずはよく分からないまま呉の北條家に嫁ぐことになります。

それからのすずは北條家の家事を慣れないながらに切り盛りしつつ、北條周作の姉である北條径子の娘、晴美の遊び相手ともなり平凡な生活を送ります。

そんな平凡な生活にも徐々に戦争の影が覆ってくるようになります。軍港である呉は度々米軍の空襲を受けるようになります。穏やかな生活から一変して空襲警報が鳴るたびに防空壕に避難し、空襲に怯えるようになります。

ある日、晴美とすずが北條家の父の見舞いに街に出かけた際に空襲が襲い、防空壕で難を逃れますが、帰り道に時限式爆弾の爆発に巻き込まれ晴美は死に、すずは右手を失います。

晴美を守れなかったすずは自らを責めますが、自分も右手を失う大怪我を負い自宅で療養の日々を送ります。

昭和20年8月6日の朝、いつものように家にいると突然辺りに閃光が走ります。広島に新型爆弾(原爆)が落とされたのです。広島から逃げてきた人もいましたし、爆風で呉まで家財が飛んできました。

昭和20年8月15日玉音放送で日本が負けたことを知ったすずは何のために頑張ってきたのかと泣き叫びます。ところが日本が負けてからも、米軍が上陸してきたのを除けば淡々と日々が過ぎていきます。

敗戦から暫くしてすずは広島の実家を訪れます。その時に妹のすみちゃんから父母が亡くなり、また自らも原爆による後遺症に犯されていると告げられます。

呉への帰り道、原爆孤児の女の子と知り合い、二人は女の子を呉へと連れて帰ります。北條家に新しい家族ができ、物語は終わります。

時系列で解説

次に時系列で出来事を追っていきます。

昭和8年12月

すずの実家は海苔を売ることで生計を立てています。ある時すずが海苔を運んで街に行くと迷子になってしまい、人さらいにさらわれてしまいます。人さらいはもう一人男の子をさらっていました。

機転により人さらいから逃れた様子を妹のすみちゃんに漫画形式で伝えるすずの姿が描かれています。

人さらいの一件は現実か夢なのかの判断が付きにくい出来事ですが、後に一緒にさらわれた男の子がさらわれた時の様子を覚えており、「すずを嫁に欲しい」と訪ねてくるため、この出来事が現実でないと辻褄が合いません。

したがって、人さらいの1件は現実です。

なお、すずの衣服に書かれていた「浦野すず」という名前を周作が覚えていたのが手がかりとなって後にすずの居場所を突き止めたものと推測します。

 

主題歌が流れ、たんぽぽの綿毛が飛んでいく様子が描かれます。

まるで無関係なたんぽぽの綿毛が飛んでいくシーンはやや唐突で不自然です。それも主題歌が流れる映画冒頭の重要なシーンですので意味があります。何かの隠喩であると捉えます。

たんぽぽはある場所に根を張り、花を咲かせ、綿毛を飛ばすことによりその場所から離れた地点へ風まかせに移動し、やがて着地した場所で根を張る植物です。

すずが実家から何が何やら分からないうちに嫁に行き、嫁に行った地に馴染もうと努力して生活するのと同様です。

したがって、たんぽぽは「すず自身」の隠喩です。

 

また、当時の大多数の日本人の女性、あるいは次男以下の男性も同じような経験をしていました。たんぽぽは「すず自身」だけではなく、当時の大多数の日本人をも指していると捉えることができます。

昭和10年8月

兄の要一(後の場面で手紙に「浦野要一」と描かれていたことから兄の名前は「要一」と断定できます)とすず、すみちゃんでおばあちゃんのもとに出かけていきます。スイカを食べて仲良く寝ていると、すずは天井から降りてきた子供の姿を見ます。

 

座敷わらしです。

 

夢か現実かの判断は難しいところですが、子供が天井から降りてくるのは非現実的です。よその子供が天井裏に隠れているとは考えにくいからです。

ただし、食べ残しのスイカをよその子供が食べている出来事に限ってみれば現実的にあり得ます。その証拠に、後にすずが遊郭で出会うリンさんは子供の頃、よその家のスイカを食べていた思い出をすずに語ります。

したがって、子供が天井から降りて来たのは夢であり、子供がスイカを食べていたのは現実であると判断します。

昭和13年2月

学校の自由画の授業ですずは絵の才能を発揮して、いち早く課題を終えます。家に帰り、手伝いに出たすずは水原くんと松林で出会います。写生をサボっていた水原くんの代わりに松林からの風景をすずは描きます。やがて描き終えると、水原くんはすずの代わりに枯れ木を集めてきてくれます。その枯れ木の上には椿の花が置かれていました。

水原くんはこの時、父母が飲んだくれてて家に帰りたくなく、海が嫌いで、船舶事故があったことをすずに話します。

この話をした時に水原くんは「もう兄さんが使わないから」と言ってすずに鉛筆を渡します。父母が呑んだくれている状況、船舶事故があった話、「兄さんが使わない」という3つの話から、水原くんは船舶事故で兄を亡くし、父母は嘆き悲しみ、家に居場所のない水原くんとすずが出会った場面だと解釈します。

すると水原くんが海を嫌いな理由がはっきりします。

ただ、その後水原くんはすずの絵を見て「これじゃ海が嫌いになれない」といったようなことを言います。すずの描いた海の絵に救われた水原くんの心情が読み取れます。

併せて水原くんはすずのために集めた枯れ木の上に椿の花を置いて渡します。無骨な男の子が女の子に、あえて椿の花を添えて渡した出来事から、水原くんがすずに好意を持っていると判断できます。

昭和18年12月

すずが海苔を作っていると、「すずを嫁に欲しい」という人物が呉からやってきていることを知らされます。

おばあちゃんはすずを呼び、嫁入りに備えて仕立てておいた着物を披露し、こう言います。

「向こうの家で傘を持ってきたかと言われたら新しいのを一本持ってきましたと言いなさい。そしてさしてもいいかと言われたらどうぞと言いなさい」と言います。

 

実家に帰る途中で偶然幼馴染の水原くんとすずは会います。水原くんはすずが「妹の方がきれいだ」というのに対して「そうでもない」と言います。5年前の出来事で水原くんがすずに好意を持っていることが表現されていますが、あれから5年経たこの時までもその思いを持ち続けている事実が読み取れます。

 

「嫁に欲しい」という人物(北條周作)とその父親が、すずの父親と話しています。その様子を見ていたすずは「口の中にキャラメルの味が広がったのはなぜだったんだろうか」と言います。

よく見ると、机の上にキャラメルが置かれています。

なぜキャラメルなのか。

人さらいの出来事の時に倒れた人さらいに水原くんは「気の毒だから」とキャラメルを渡します。恐らく周作はキャラメルと人さらいの出来事が強く結びついており、すずにとってはキャラメルはぼんやりとした記憶だったのだと推測されます。

なぜなら水原くんはキャラメルを持参するという意識的な行動をとっていたのに対して、すずは「キャラメルの味が広がったのはなぜだったんだろうか」とぼんやりとした意識だからです。

 

すずはあの人のもとに嫁に行くのが嫌かどうかも分からないとと言います。途中、水原くんと出会った松林で「すずを嫁に欲しい」という人物と出会い、道案内をします。

後に周作から手紙で、山の中で会った珍奇な女に案内されて無事帰れたと書いてよこします。

 

周作と父親が山の中に行ってしまったのは水兵さん(つまり水原くん)に案内された結果でした。周辺の地理に詳しいはずの水原くんが駅までの道を間違えて伝えるとは考えにくいです。

あえてすずがいる山の方へ案内したと考えるのが自然です。

水原くんはすずに好意を持っているのも拘らず、あえて結婚を申し込んで来た周作とすずを結びつけようとしたと私は判断しています。

その理由はかなり推測となりますが、自分が水兵であり、兄の死の出来事もあって、やがて死ぬかもしれない自分がすずと結ばれるわけにはいかないという思いがあったものと考えます。

水原くんは豪快に見えますが、細やかな配慮のできる人物だと理解できます。

昭和19年2月

場面は汽車、すずが呉に到着しました。

北條家にたどり着き結婚の儀を行います。嫁いだ先の家の義母は足を悪くしています。夫になる男性にすずが連れられていくときに「私は一体どこにきたんだろう」と独り言を言います。

すずが山の中で呟いた「嫌なら断ればいいと言われるけども嫌かどうかも分からない」というセリフと同じような意味を持っています。

自分の意志を持つための判断材料もなく、成り行きのまま自分の意志に関係なく見知らぬ地に来てしまった、思いが二つのセリフから読み取れます。

たんぽぽの綿毛が辿る道と同じですね。

 

そして、周作から「傘を持ってきているか」尋ねられたすずは「新しいのを一本持ってきた」と答えます。

私が知らない慣習ですが、このやり取りの後に周作とすずが夫婦の関係になることから、

「傘を持ってきているか」は「初夜の準備は整っているか」であり、「新なの(新しいの)を一本持ってきた」は「準備は整っています。私は処女です」という意味だと解釈します。

 

どこかで会った事があるかと尋ねたすずに、夫になる男性は昔から知っており、「昔から黒子があった」と言います。人さらいの出来事によりすずを見初めたのは決定的です。

昭和19年3月

結婚の儀式を終えたすずは、様々な家の仕事をこなしていきます。あるとき周作の姉が晴美という娘を伴って尋ねてきます。

一所懸命、家事をこなすすずを見て姉の径子は「あんた広島に帰ったら?」と言います。この時に周作と父親は少しうつむきます。この仕草は言おうと思っていたけども言い出せなかった二人の心の裡を表現しています。

足の悪い周作の母親を思うと、すずを実家に帰してやりたいけれども帰っていいと言い出せなかった二人の後悔の念が表現されています。

なお、径子が「広島に帰ったら?」と言ったのはすずの献身的な家事の様子と、苦労、そしてハゲが出来ている様子を見て、自分が嫁に行った時の苦労が蘇って出たセリフだと判断できます。

 

実家に帰ったすずに妹のすみちゃんは「ハゲができている」と言います。劇中では径子は直接的にすずのハゲを発見していませんが、すみちゃん、ならびに後で晴美までハゲに気づきますので、径子も気づいていたものと理解するのが自然です。

 

径子はご飯を炊かせれば焦がしてしまうし、自分の感情のままに生きている人物のように表面的には描かれています。が、この出来事から、実は人の気持ちや様子から置かれた状況をしっかり理解して思いやることのできる根は優しい人物だと推測できます。

この日に限ってご飯を焦がさずに炊いたのは、すずがいなくても家事は自分に任せておいてほしいと思う気持ちが行動に現れた結果です。

昭和19年4月

里帰りから戻ったすずはまた北條家で嫁ぎ先での日常を送っています。

畑でたんぽぽの綿毛を吹いているすずに呉の港に停泊している船を解説する夫。夫もすずのハゲを指摘します。

その後、晴美にまで「すずさんがハゲているから炭で塗ってあげたい」と言われます。

晴美と姉の径子はまた実家に戻ります。昭和19年6月に径子はまた実家に戻ってきていますので、帰った理由は正式に長男を夫の実家に預け、晴美を径子が引き取るという話し合いをするためと考えられます。

昭和19年5月

道端の草をむしって食料にするすず。近所のご婦人に習った調理法を真似てうまくいったことから、楠木公の調理法を真似ますが、北條家の家族からは不評を買います。

この頃には配給が少なくなり、庶民は道端の草でも何でも食料にしないと生活が苦しい事情が描かれています。これまでのシーンでは生活の苦しさについて言及されていないので、この頃をもって段々と戦争が庶民お生活にまで影響を及ぼしてきたと考えられます。

昭和19年6月、7月

4月に嫁ぎ先に戻った径子は離縁して晴美とともに戻ってきていました。

 

山の上に大砲が設置され、恐らく大本営からの指示が出たのだと思いますが、北條家の庭に防空壕を作ります。その防空壕の中ですずと夫である男性がキスしたとき、すずは「自分はこの人とこんなことしてる」と他人事のように心の中で思います。

二人の仲良い様子を見た周作の両親は夫婦は仲良くするのが良い、と言いますが、姉の径子はその様子を知り泣きます。

 

径子の過去がここで明かされます。

買い物に行った時計店の主人と結婚し二人の子供をもうけますが、主人がいなくなってからは、主人の両親と折り合いが悪く長男(ヒサオ)を実家に取られた後、妹のハルミを連れて実家に戻ってきた様子が描写されます。

主人がいなくなったのは普通に考えると死亡したか徴兵されたかのどちらかですが、後の径子の言葉から死亡していなくなったと判明します。

 

あるとき、すずが畑から呉の港の様子を描いていると憲兵から間諜の疑いをかけられますが、すずが間諜だと疑われたことに北條家の家族は大笑いします。久しぶりに家族が心から笑うところを描いています。

昭和19年8月

晴美とすずが蟻の行列を追いかけていると、行列が家の中に続いており砂糖壺の中の砂糖に群がっているのを発見しました。発見した二人は蟻が届かないところ(水甕)に砂糖壺を浮かせますが、沈んでしまい砂糖は全て溶けてしまいました。

周作の母はしまっていたなけなしのお金をすずに渡し、「闇市で買ってくるように」と言います。

闇市には様々な品物が揃っておりすずは驚きます。砂糖を手に入れると北條家まで帰ろうとしますが、妙なところに迷い込んでしまいます。

いい匂いを漂わせた若い女性が多くおり、その女性たちは広島の方言ではない言葉で喋っているところから、どこか別のところから来たものと推測されます。

こうした事実からすずが迷い込んできた場所は遊郭だと容易に想像がつきます。

 

そこで出会った親切な女性(リンさん)はすずに帰り道を教えてあげます。リンさんは広島の言葉を喋っているので地元出身だと判断できます。リンさんは草津の出身ですずのおばあちゃんの住んでいた地域の出身です。

昔は貧乏でスイカの皮ばかりかじっており、ある時親切な人にスイカの赤いところを食べさせてもらった、と話をします。

この話はすずの幼少期の座敷わらしのエピソードそっくりです。リンさんがその座敷わらしだった決定的な証拠はありません。しかし、あの座敷わらしと同一人物だったか同じような境遇にあったと分かります。

リンさんに案内され、すずは無事に家までたどり着きます。

昭和19年9月

すずのもとに電話があり、呉鎮守府軍法会議所(周作の勤め先)まで帳面を持って行きます。それは周作がすずを街に連れ出し気分転換させるためのはからいでした。

街を歩いている時すずは、「昔の人に会ったら夢から醒めてしまう」と心の中で言います。

つまり、北條家にいる現実が夢で昔の人(水原くん)と過ごしていた少女時代がすずにとっての現実であるということです。

北條家に嫁いだのは昭和19年2月でこの時点まででたった7ヶ月です。劇中では北條家に嫁いでからの生活がメインに描かれていますが、たった7ヶ月で「訳のわからないまま知らない人の、知らない家に嫁いだ」すずがその生活を「夢」だ思うのは何ら不思議ではありません。

そしてすずが妊娠しているかもしれないと気づきます。その後、北條家の人は二人分のご飯を食べるように言い、病院に行った後でも北條家の人々がすずにご飯をすすめることから、妊娠しているのは事実だと判断できます。

昭和19年12月

重巡洋艦「青葉」の乗組員だった水原くんが呉に戻ってきます。「青葉」が戦闘不能の状態になったため、呉に寄港したのです。彼はすずを頼って北條家に訪ねて来ます。すずはそこで北條家では見せなかった顔を見せます。素のすずに戻った様子を見て、周作は気まずそうな表情を浮かべ、径子はやや訝しげな表情を浮かべています。

水原くんの世話をするすずに周作が水原くんを泊めている納屋に火鉢を持っていくように言いつけ、母屋の鍵を閉めます。

 

一体この出来事は何でしょうか?

周作が気まずそうな表情をしていたのは、無理矢理にすずを北條家に嫁がせ我慢させていることに対する罪悪感です。すずが水原くんの前では我慢せず感情を表に出す様子を見て、自分がすずに我慢させていたのに気づいたので罪悪感を感じたのです。

そして納屋に火鉢を持っていくように言いつけ、母屋の鍵を閉めます。長い航海を経た海兵と同郷・同年代の女性が二人きりになったら何が起きるかは火を見るより明らかです。それでも周作はすずを水原くんの元に送り出すのです。

 

自分はすずさんを我慢させ、不幸にしている。すずさんには本当に幸せになって欲しいから他の男に取られてもいい。

 

と周作が考えたからこその行動です。さて、周作はどんな性格の男でしょうか?考えてみて下さい。

 

水原くんはすずを抱き寄せますが、すずはその時「水原さん」と呼びます。すずが明らかに距離を置こうとしているのが読み取れます。そして、すずはこう言います。

水原さん、うちはずっとこういう日を待ちよった気がする。

こうしてあんたが来てくれて、こんなにそばにおったのに。

うちら、あー、ほんまに、うちはあん人に腹が立って仕方ない。

ごめん、ほんまにごめん。

引用元 この世界の片隅に

すずは水原くんに好意を持っていました。上のすずのセリフを以下のように読解していきます。

 

「水原さん、少女の頃からあなたと一緒になる日を心の中では待っていた事実に、今この場で気づきました。

水原くんが来てくれて、こんなにそばにいるのに、私はあなたと結ばれることはありません。

私たち夫婦は、ああ本当に愛し合うようになったのです。こんな仕打ちをした夫に腹が立って仕方がないです。

水原くん、あなたの気持ちに私は応えられない。ごめん、本当にごめん。」

 

この出来事によって、すずは少女時代と決別します。北條家に嫁いで来た現実が夢で少女時代が現実だったすずが、現実の世界の住人である水原くんを目の前にして、夢の世界の住人のはずの夫・周作への思いが勝り、水原くんに体を任せられなかったのです。

 

現実と夢の逆転が起きているのです。

昭和20年2月

兄の浦野要一が戦死しますが、遺骨も何もなく遺族のもとに送られて来たのは一粒の石のみ。あんまり小さいのですみちゃんが「お兄ちゃんの脳みそ?」と言ったことから、すみちゃんが要一お兄ちゃんをどう捉えているかが端的に伝わって来ます。

その後呉への帰り道にすずと周作は喧嘩します。周作は嫁に来させたことを後ろめたく思っておりますが、すずは周作との生活を続けるうち本当に周作を愛するようになっていました。だから水原くんのもとに自分をやった周作に憤っているのです。私の本当の気持ちを知っているのか、と。

昭和20年3月19日

冒頭ですずと晴美によって歌われているのは「空の神兵」という軍歌です。ところがそこへ米軍の戦闘機が飛んで来ます。

これ以後、呉の街にも米軍の飛行機がやってくるようになります。

ところで米軍が本土を空襲するためには二つの条件が必要です。

 

一つ目は日本本土まで到達できるくらいの距離に基地が存在すること。

二つ目は本土周辺の制空権を確保していること。

 

基地が近くにあり、制空権を確保されてしまっている状況は戦争において致命的な状況です。制空権が確保されているとは同時に制海権をも容易に確保される状況となっており、残るは陣地の確保のみです。普通はそうされないように島嶼(あるいは周辺地域)の基地防衛を行い、制空権を確保します。それが破られている状況はほぼ敗北を意味しています。

3月19日に空襲を行なったのは恐らく戦闘機です。呉の軍港に攻撃を仕掛けて、対空能力を削ぎ敵兵力の把握をするためだったと思われます。攻撃がすぐに止んだことと、爆撃がなかったこと、機敏な動きを行なっていたことによりそのように推察します。

 

戦闘機により対空戦力を削いで制空権を確保したのち、攻撃機や爆撃機による攻撃が始まります。

 

ちなみに攻撃機や爆撃機の空対空の戦闘能力は大きく戦闘機に劣ります。爆撃機がその後、呉に到達しているので、日本は戦闘機による防衛が十分にできない状況だったと考えられます。

 

この空襲の最中、周作の父は畑で倒れます。夜勤による疲れで眠ってしまったのです。

昭和20年4月、5月

初めて呉にやって来たのは米軍の戦闘機でしたが、5月に来ていたのは爆撃機です。戦闘機に比べると機動力に劣る爆撃機が本土に到達しているのは、すでに日本が戦闘機による迎撃ができない状況に陥っている事実を表しています。

次から次へと毎日のように空襲警報が鳴り、防空壕に避難する生活が始まります。

周作は文官から法務の一等兵曹となり、軍服を支給されます。3ヶ月は訓練で戻れないとすずに告げます。

5月15日に周作が軍人として家を出る日、すずは紅を塗りおしろいをはたいて見送ります。

昭和20年6月21日

空襲で行方の分からなくなっていた周作の父が海軍の病院にいるのが判明します。腹と頭をやられていましたが存命でした。壊れた時計を径子の主人の実家(下関の黒村のところ)に修理に出すためにすずと晴美を連れ立っていきますが、汽車に乗るため並んでいる最中にすずと晴美は周作の父のところにお見舞いに行くことにします。

父は呉にいるよりも下関の方が安全だから径子と晴美は疎開させるべく、時計の修理を口実にしたことをすずに話します。

病院からの帰り道、空襲警報が鳴り、晴美とすずは近くの防空壕に避難します。

なんとか難を免れた二人でしたが、道端に落ちた時限爆弾が爆発し晴美は直撃を受け、すずも右手を失います。

娘を失った悲しみで半狂乱になる径子、自分が死ねば良かったのにと思うすず。その後も毎日のように空襲警報が鳴り響きます。

昭和20年7月1日

夜中に米軍の爆撃機(恐らくB29と思われる)が多数来襲し、呉の街に焼夷弾の雨を降らせます。北條家にも焼夷弾が直撃しますが、必死で火を消しとめるすず。

翌朝、北條家には家を無くしたと思われる人々が多数集まっています。そのうちの一人が「防空壕に入らなくて良かった」と言います。

防空壕は炎には脆弱であり、防空壕に逃げ込んだ人たちの多数は熱と煙で死にました。そのことを言っています。

実家の様子を心配した周作が帰って来ます。周作はすずが生きていることを「良かった」と言いますが、すずは「何が良かったのかさっぱり分からない」と思います。

自分たちの生活、晴美の死、そして自分の取り柄であった絵を描く右手を失ったこと、それらを「良かった」と一言で片付けられないすずの気持ちが「さっぱり分からない」というセリフから読み取れます。

 

布団で寝ているすずの周りの風景が歪んだ場面。

これは右手を失ったすずの心理を表しています。つまり右手を失い(今まで現実だと思っていた世界が変わり果て)、左手で描く(変わり果てた世界が具現化すると)とこうなる、と表現しています。

 

そこへ妹のすみちゃんが訪ねてきてすずに「広島に帰ってこい」と言います。「お兄ちゃんもいないから」という言葉にすずは「歪んでいる」と自分に対して思います。左手で描いた絵のように。

昭和20年7月28日

また呉に空襲警報が鳴ります。すずは鷺が飛んでいるのを見て、「広島の方へ帰れ」と言います。鷺は海辺に住む鳥で、少女だった頃実家やおばあちゃんの家の周りで飛んでいた鳥です。

ふっと昔の記憶が蘇ります。

鷺は、すずにとって少女時代の平和で幸せだった記憶の象徴として描かれています。だから、すずは鷺に帰れと言い、その後すずのもとにやって来た周作にも「(鷺のように)実家に帰る」と言うのです。

 

水原くんとの一件以来、北條家に嫁いで来た現実の世界で生きようとしていたすずでしたが、鷺を見た時に少女時代が蘇り、夢の世界(過去である少女時代)に戻りたいと強く思いました。

 

その9日後、つまり昭和20年8月6日、すずと径子が話をしています。その日、病院に行った後ですずは広島の家へ帰る予定にしていましたが、径子が「晴美が死んだのをあんたのせいにしてごめん」と言うと、やっぱり帰るのを止めるとすずが言います。

現実の世界(北條家に嫁いだ世界)と、過去の世界(広島の実家で生きる世界)とで恐らくは迷っていたすずが径子の言葉をきっかけにして現実の世界で生きようと考えた場面です。

その時、あたりに眩しく光ります。その後、家が揺れ瓦の一部が落ちて来ます。そして遠くの空に今まで見たことのない不吉な雲を見ます。

広島に新型爆弾が落ちたのを知ります。

 

呉にも広島で被爆した人たちがやって来ます。自宅の庭には広島から飛んで来たと思われる戸が木に引っかかっています。それを見た時、広島の思い出が蘇ります。

昭和20年8月15日

ラジオの前で正座をする近所の人と北條家の人々。ラジオが終わった時に、

「あーあ、終わった終わった」「これは負けたということかね?」「広島と長崎に新型爆弾落とされたし」「ソビエトも参戦したし」

という言葉聞いたすずは激昂して言います。

そんなん覚悟の上じゃないんかね!

最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!

今ここにまだ5人おるのに!

まだ左手も両足も残ってるのに!

引用元 この世界の片隅に

すずが水を汲んで丘を登る途中で径子が「晴美、晴美」と言いながら泣き崩れているのを目にします。

丘の上ですずは

飛び去っていくうちらのこれまでが。

それでいいと思ってきたものが。

だから我慢しようと思ってきたその理由が。

引用元 この世界の片隅に

と言い、泣き崩れます。

「何も考えないでぼーっとしたまま生きていけたら良かったのに」

 

晴美の死も、苦しい生活も戦争のためという大義名分があったからこそ、感情を抑えられていたのが、突然敗戦の報を受け、心の拠り所がなくなったすずの気持ちが読み取れます。

普通で、ぼーっとしているすずでさえも、戦争という時代背景に飲み込まれ、変えられてしまっていたのです。というよりも、晴美の死や絶え間なく続く空襲、苦しい生活に耐えるためには変わらざるを得なかったのです。

 

周作の母はタンスからとっておきの白米を取り出し、「何も混ぜないで炊こう、ただ明日も明後日もあるから全部はだめ」と言います。

8月15日以降も人の営みは続いていくのです。

昭和20年10月、11月

アメリカ軍が上陸してきます。アメリカ兵に群がる子供達。

すずが近所のおばさんと荷車を押して歩いていると、水原くんの幻が言います。

すず、すず、わしを思い出すならわろうてくれ。

この世界で普通でまともでおってくれ。

引用元 この世界の片隅に

水原くんが生死は判然としません。が、重巡洋艦「青葉」の前に水原くんが立っているのは彼が死んだ事実を暗に匂わせているように思います。重巡洋艦「青葉」は沈没こそしていませんが既に戦う能力のない船です。死んだ船と水原くんを同列に並べ、彼が死んだ事実を匂わせていると私は考えています。

昭和21年1月

すずは実家にすみちゃんのお見舞いのために帰ります。

そこですみちゃんからお父さんとお母さんが死んだことを知らされます。

すみちゃんも原爆の後遺症に苦しんで寝たきりです。

 

帰り道に周作に会うすず。周作は海軍による広島復興のため、広島に来ていました。

記者を待っていると、原爆孤児の少女が二人に近づいて来ます。この少女は原爆により母親を亡くしていました。右手のないすずを見て、母親の姿をすずに重ねます。二人は少女を呉に連れて帰ることにしました。

呉に連れて帰った少女を家族として受け入れることにした北條家の人々。少女を風呂に入れ、晴美が着るはずだった洋服を着せて。

そこで物語は終わります。

「この世界の片隅に」は少し前の日本人の物語

「この世界の片隅に」という映画はそう遠くない昔の日本と日本に暮らしている普通の人々の日常を描いた映画です。

映画の冒頭は昭和8年12月、最後に描かれていたのは昭和21年1月、約13年。冒頭は今から85年前、最後に描かれていたシーンは今から72年前です。すずは昭和18年に満18歳であることが劇中で明らかにされます。

つまりすずは昭和元年生まれ、未だ存命の私の祖母は昭和5年生まれ、すずよりも年下ですが世代としてはそう大きく変わりがありません。

最後のシーンで、すずと周作が広島から連れて帰ってきた原爆孤児は、6歳くらいなので昭和15年頃の生まれ。今生きているとしたら78歳。スマホを使ってLINEで孫にメッセージを送り、skypeで孫とTV電話をし、Amazonで孫へのプレゼントを買っていてもおかしくない年齢です。

 

連れて帰ってきた原爆孤児が6歳くらいと推定できる理由を説明します。

周作の姉である径子の娘(晴美)が着ていた洋服がちょうど合っており、その晴美は昭和20年に「来年小学校に上がる」と劇中で説明されていることから6歳くらい、したがって連れて帰ってきた原爆孤児は6歳くらいだと考えられます。

 

ともあれ、そう遠くない過去の出来事を描いた映画なのです。

「この世界の片隅に」の言葉

初めて映画館で見た時に驚きましたが、この映画で使われている言葉は祖母が使っている言葉そのままです。

「〜じゃった」

「行きんさった」

「大ご馳走じゃ」

「それはおおごと」

「〜よってからに」

「〜してつかあさい」

これらの言葉は祖母が今でも使っている言葉そのままです。ちなみに祖母は広島県呉市出身です。まさにこの映画の舞台である呉市で育ち、遠くに嫁いでいきました。

「この世界の片隅に」はこの時代に生きていた日本人の普通の生き方、普通の慣習を描いています。素性も知らない人のところに嫁ぐのもこの時代では普通のことだったと祖母から聞かされています。

広島の描写

広島で原爆が落ちた時、「一瞬眩しく光った」と呉に住んでいた祖母は述懐しています。その後、風が起きたそうです。

呉市にも広島で被爆した人々が沢山逃げてきたと聞きました。様々な怪我、火傷を負った人たちを見たそうです。

 

そういった人たちの看病を手伝ったそうですが、いまだに多くを教えてはくれません。15歳の少女が体験するにはあまりに苛烈な現実だったのだと思います。

はだしのゲンと学校教育

広島を描いた作品の一つに「はだしのゲン」という有名な漫画、アニメがあります。私が小学生の時には学校の図書室に絵本が置いてあり、夏になると「戦争の悲惨さを知る」ための授業でアニメを流していました。

私は今でも「はだしのゲン」の絵本やアニメの描写が忘れられません。

忘れられないのは「戦争の悲惨さ」ではなく、「ひたすらに恐ろしい」ものとしてです。

 

小学校2年生の頃に見せられた「はだしのゲン」で描かれていたのは、飛び散ったガラスが全身に突き刺さり血だらけになった母と子、皮膚が腕からだらんと垂れ下がった親子、川に飛び込んだ人々が折り重なり次々に死んでいく光景、そういったものでした。

少なくとも私はそれくらいしか覚えていません。そして、何日も夢に見てうなされ続けました。

 

これが現実である、と言えば聞こえは良いですが、子供にとっては「恐ろしいものを見せられた」という記憶しか残りません。

以来、8月6日が来るのが恐ろしくて仕方がありませんでした。8月6日が来ると、あの恐ろしい光景を大人たちの言う教育の名のもとに見せられるのだと思うと怖くて眠れませんでした。

 

現実を伝えるべきと考える方々には「間違っている」と言われてしまうかもしれませんが、「はだしのゲン」および原爆投下直後の被爆者の絵やアニメを子供に見せるのは、子供に深い精神的ショックを与えるだけで何ら教育的効果はないと考えます。

もしそれをやっている親や学校があったら今すぐに止めて頂きたい。

 

ちなみに「はだしのゲン」の絵本は、被爆者の悲惨さ知るのではなく悲惨な絵を見ても耐えられる度胸を試すために私の教室では使われていました。

こんな使われ方が、被爆して死んでいった人たちの無念を後世に伝える目的に沿いますか?

絶対に違います。

構造化と主題の発見

これは次回に回します。物語の大部分を精読しましたのであとは構造化し、主題を発見し、物語の読み方を国語の読解というテーマに沿って後編で解説していきます。

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