中学受験の国語で満点をとる-「読む技術」により読解を行う
中学受験の国語学習にも役立つ「読む技術」
私が「読む技術」を明確に意識したのは高校生の時でした。
きっかけは「ナボコフの文学講義」を読んだこと。精緻に文学作品を読み解いていくこの本を読んだことによって私は、小説を読むための技法があることを知りました。
これを私は「読む技術」と呼んでいます。
大学受験のときは論説文がメインでしたが、「読む技術」を自分なりに作り上げアレンジして、志望校の現代文で満点もしくは満点に近い点数を取ることができていました。
その「読む技術」を中学受験を志す児童が身に着けることを期待して解説を行っています。
誰も教えてくれない「読む技術」
ところで皆様は学校で「読む技術」を教わったでしょうか?
教わった方は幸運です。私は教わりませんでした。私が教わったのは「登場人物がどんな気持ちだったか」や「著者は何を言いたいと思うか」という「感じ取ろうとする」学習でした。
しかし、「登場人物の気持ち」や「著者の言いたいこと」は結果です。文章を如何にして読み解くかを学んでいないのに、「登場人物の気持ち」や「著者の言いたいこと」を「感じ取ろうとする」のは過程をすっ飛ばして結果を求めようとしているのと同じです。
正しい過程をすっ飛ばして結果を求めるのはあてずっぽうと言います。
こんなことしか教わっていないから国語の問題で満点を取れないのです。
ロリータ
ナボコフの有名な著書に「ロリータ」という小説があります。冒頭部分の文章から問題を出題してみます。
ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。
Lolita, light of my life, fire in my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo . Lee. Ta.
引用元 原著:ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」 日本語訳:若島正
問1 この小説は何人称か答えよ。
問2 この小説はどのような小説か答えよ。
1.これから起きる「ロリータ」との生活を描いた恋愛小説
2.「ロリータ」と一緒に旅に出る冒険小説
3.「ロリータ」との過去の出来事を語る独白形式の小説
4.死んでしまった「ロリータ」を悼む著者の追悼の気持ちが表現されている小説
問3 これを書いた人物として最も適切なものを以下の選択肢より答えよ。
1.本屋の店員
2.文学の教授
3.変態
4.牧師
この冒頭の文章からただごとではない雰囲気が漂ってきます。原著の英語を読んでみてください。なるべく音読してみてください。美しい言語のリズムがあると思いませんでしたか?
さて、この文章では「我が」と言っていますので、一人称だということです。問1は「一人称」が正解。
そして一人称による過去の出来事の独白形式の小説であることも分かります。
なぜなら、
我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。
と言っているからです。冒頭から既に「命の光」「腰の炎」「罪」「魂」と言っており、「ロリータ」という存在について私の立場から総括を行っております。したがって、この小説では「ロリータ」という存在について、既に起きてしまった出来事を語っているものと推測できます。
選択肢の1は「これから起きる」と言っているので×。
選択肢の2は「旅に出る冒険小説」と言える根拠がこの文章にはないので×。
選択肢の3は〇。
選択肢の4は「死んでしまったロリータ」と言っているが、この冒頭の文章では「ロリータ」が死んでいるかどうか判別できないので言いすぎています。よって×。
また、この文章は高度に詩的であり、高度な詩の教養を持った人物が書いたものであることが分かります。
選択肢の1は「本屋の店員」が必ずしも高度な詩の教養があるわけではありませんが、本屋の店員をしているくらいですから可能性はあります。ただし、その可能性は低いと言えるでしょう。
選択肢の2は大学教授でも「文学」とくに「詩」の教授であれば高度な詩の教養があると予想されます。可能性としては高いです。
選択肢の3は文章には「変態」である根拠がないので明らかに×。
選択肢の4は「罪」と言っている点が牧師っぽいですが、牧師の言う「罪」とは原罪のことであり「ロリータ」に対する「私の罪」ではないです。ただし、詩の教養がある牧師の可能性は否定できません。しかし可能性は低いです。
よって最も可能性が高いのは2の文学教授です。よって正解は2です。
飛躍なく漏れなく文章を読む
この文章を読んでどう感じましたか?
「ロリータ?これは変態の書いた文章だ」と思いましたか?「何だか小難しいなあ」と感じましたか?
それは単なる感想です。
文章を読むには感想ではなく、書いてあることを書いてある通りに受け取り、それを根拠として飛躍なく、かつ漏れがないように解釈することが必要です。
文章を読むのに必要なのは感じる力や豊かな想像力ではありません。
それは趣味でやっていたらよろしいと思います。
少なくとも中学受験で必要なのは正確に文章を読み、飛躍なく漏れなく文章を解釈する力です。
読む技術とは
正確に文章読み、飛躍なく漏れなく文章を解釈する力を、問題を解くうえでの技術的な方法論に置き換えたのが、
です。
これは方法論ですので分かりにくいと思います。ですから具体例で解説していきたいと考えています。
そこで、前回、前々回と
アナと雪の女王を読解していきました。
読む技術というのは文章を読む技術のことを指しているように聞こえますが、その本質は物語を読解することによって物語の構造を把握する技術のことであります。
読解の対象が文章か映像なのかは単なる対象の違いであり、本質的な違いではありません。
したがって私は分かりやすく効率の良い映像をもとに読解をやっています。
なぜアニメか
優れたアニメ作品、とくに興行収入を狙うアニメーション作品の制作には多くの才能が集まっています。そうした作品は人を感動させたり、楽しませたりするのを目的にしており、そのためには、人が感動したり、楽しんだりできる構造があります。
それも明確に。
だからアニメーション作品の読解を行っています。
何より、国語が苦手だから勉強しようという児童がいきなりディケンズやゾラやオースティンに挑戦するのはハードルが高すぎます。そして時間がかかりすぎます。
その点、アニメーション作品は明確な構造が物語にあることを、約2時間程度の鑑賞で知ることができます。
「大いなる遺産」は楽しい小説ですが、国語の苦手な小学生が読んだら1か月はかかります。
あまりにも効率が悪いのです。
よく中学受験の国語のために本を読みましょう、とか、日記を書きましょう、と言われます。その効能を否定はしませんが時間がかかりすぎます。
国語ができない児童の多くは、物語に構造があり、その構造を把握するには読む技術があり、そして問題を解くには構造の把握を読む技術によって行うということを知りません。
と言いますか普通は知りません。国語の成績が良い児童はもともと文章を読む能力があるというだけです。
普通の児童がそうした児童に追いつくためには技術を学ぶ必要がある、だから私はそれを伝えたい。それも効率的な方法で。
その帰結がアニメーションの読解だったということです。
ではいきましょう。「ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」です。
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