【中学受験】中学受験における親のサポート 親ができることと親の役割

ある家庭に訪問して教えた時にびっくりしたことがあります。
その家庭のお子さんが通っていたのは四谷大塚系の塾。つまり、予習シリーズを副教材として使って、普段の授業は塾オリジナルのテキストを使っておりました。
前回、四谷大塚への愛を書いたついでに、四谷大塚で成績が悪い子は予習をしない(できない)とかいう話も一緒に書きました。
家庭教師としてお家に伺う際にどこの塾で学んでいるのか事前に知らされていたものですから、私は思わずほくそ笑んだものです。
「四谷大塚系の塾で成績が上がらないんだったらお手のもの、こりゃあ楽勝ダァ!どうせ予習してないんだろ!」
私は食後のコーヒーでも飲むかのような軽やかな気分で家庭を訪問したのでありました。もしかしたらスキップしてたかもしれません。あるいは背中に羽が生えてたかもしれません。
話を聞くと、
算数の偏差値50くらいだと。ふんふん、そんなもん屁でもありませんよ。
真面目な性格だけど要領がよくないと。YES!そりゃあ要領だけで人生渡っていけそうな気がしてる私にゃぴったりじゃありませんか!
毎日、コツコツやってるけどなかなか成績が上がらないと。HAHA!他でもない私を呼んだのを幸運だと思いなさい。
予習をしっかりしてるのにどうしてなんでしょう?
へ?予習してる?嘘だろ。
予習シリーズを使って予習をするのは、お子さんにとっては思ったよりも大変なんです。小学5年生とか6年生に上がると予習シリーズで予習すること自体の難易度がグッと上がってまいります。
とりわけ小学6年生の予習シリーズの算数はほぼ問題だけ。基本問題がダーッと並んでおりまして、あとは少しひねった標準問題、そして応用問題、という構成になっておりますから、これを完遂させるだけでもそれなりの学力が必要です。
なお私がこの時受け持ったお子さんは小学4年生でした。
小学4年生であれば4年生なりの大変さが予習にはあります。全く習ったこともない内容を自学自習するわけですからね。成績が良くないと予習を完遂させられないですし、予習を完遂させられるのなら成績は良くなるはず。
何が原因だ?
「ちなみにどうやって予習をされてるんですか?」
「主人がつきっきりで教えてます」
素晴らしいお父様なのでございました。
まぁいいです。何はともあれ、とりあえずやっていきましょうよ。で、確かこの時はつるかめ算だったと記憶しております。実際の授業はもう少し先に進んでいるとのことでしたが、つるかめ算が苦手とのことでまずは苦手なことからやることにいたしました。何しろ初っ端の授業は勝手が分からないからね。
「基本は大丈夫。でも少し難しくなると解けない」と、いきなりチャレンジ問題みたいなのの解き方を教えろと言うのですが、そこは安定の拒否です。
まずは基本から解かせてみたんです。
そしたら驚愕の解き方をいたしました。
え?ジーザス、神様、仏様、私の目の前で今何が起きちゃってるんですか?アーメン。
お父様の教えたつるかめ算の解き方
おもむろに基本問題を解かせてみると、この子、みかんとりんごの数量をXとYに置き換えて連立方程式で解き始めたんです。
おいおいおい、連立方程式で解くのはいいけど、応用効かせられるんだろうね?しかも普通につるかめ算の解法で解くよりも時間かかってるんですけど。
案の定解けるのは超基本的な問題ばかり。単純にXとYに置き換えりゃ解ける問題はチョチョイのチョイ。でも、少しひねった問題は解けない。何をXとおいて、何をYとおけばいいのかがトンチンカンだから。
つるかめ算の原理を理解していないのにとりあえず基本問題を解けりゃいいや、ってことで連立方程式を教えちゃったんだろうな、と私は思いました。
いえね、方程式を否定しているわけじゃないんです。ちなみに中学受験で方程式を使っちゃいけないとかいうのも、あんまり根拠のない話です。
私の通っていた中学校の先生、「別に方程式で解いてもいいけど」みたいなことを言ってましたからね。
ちなみにつるかめ算の根本原理と理解は↓でふんたらかんたら書いております。
方程式が悪いというのではありません。ただ、単に解き方だけ教えても応用が効かないし、それじゃ応用問題には通用しませんし、受験でも模試でも悲惨なことになるからです。もちろん方程式の使い方や意味、応用問題における使い方も含めてきっちり教えているならいいと思いますよ。
ただ、普通の親御様のレベルで方程式を教えるのは、生兵法は大怪我のもとってなものです。
何も親御様が算数を教えるなと言っているわけじゃないんです。難関校レベルの問題が解けて、一つずつの解法の意味を根本的に理解していて、その上で教えるならいいと思うんです。
桜井おじさん(下克上算数の人)みたいにね。
ま、私、この人のことよく知らないんですけど、参考書を読んでたら自分でちゃんと解いてたことは伝わってきましたよ。
でも、桜井おじさんクラスの親御様なんてほとんどいないわけじゃないですか。
いいですか。
良かれと思って、解き方を教えることがお子さんを苦しめる可能性がある。それは分かっておいて頂きたいんです。
教える上で私が注意していた3つのこと
割に合わねえ、割に合わねえと文句を言いつつ、私は授業のたびにめちゃくちゃ準備をしていました。別に特別な頭脳を持ってるわけじゃないですからね、私。
人にモノを教えるのは準備が9割。
ノートをコピーさせてもらったりしながら、何に気をつけていたかというと、
1.字が丁寧か
2.どこでつまづいているのか
3.何がクリアできれば先に進めるのか
この3点です。
2と3は何となく分かると思いますが、1はよくわからないと思います。
字が丁寧かどうかなんて算数に関係あるのか?大ありです。算数の問題を目の前にした時に、解答までの手順が頭に思い浮かぶと自然と字が丁寧になるんです。
問題の解答手順が分かった時って、人の頭の中は整理されてるんです。整理された状態で途中の式を書くから自然と丁寧になる、と。こういう理屈でございます。
だから、しっちゃかめっちゃかの解答手順が書かれていたら、混乱状態だと手に取るように分かるんですよ。
私が授業前に知りたかったのは何を教えるべきか、その1点です。だから分からない点を必死で探り出そうとしていたわけなんですね。
算数を教える時の手順
さて、実際に教える時にはこのような手順を大抵は踏んでおりました。
1.一緒に例題を基本通りに解く
2.基本問題を解かせてみる
3.どうして解けたのかを説明させる
4.説明があやふやだったら圧迫面接
5.あやふやだったことがクリアになるまで圧迫面接
圧迫面接なんて穏やかじゃないですよね。実際は穏やかに、
「ケツの穴にボールペンを突っ込んで解法をインストールしてやろうか」
とささやいたものです。船場吉兆スタイルなのであります。つまりささやきババア。
いや、これも大げさですね。もっと優しく教えましたよ。
とくに大事なのは1でちゃんと図を書いたり、グラフを書いたり、面積図を書いたりして解法のロジックを教えることでした。
説明させるのも大事です。表面的に解けているかどうかではなくて、意味が分かって解けているかどうかの確認です。
こういった教え方は、応用問題や実際の入試問題といったゴールを意識していないとできません。目の前の問題を解くのが、何につながっているのかを意識しながらやらないとその場、その単元だけの理解で終わってしまうからです。
これ、親御様にできます?
一日がかりで子供のノートを見て、弱点や分かっていない点を発見し、どうやったらできるようになるか考え、先々のことも見据えながら教える。
普通はできません。
できなくても恥ずかしくありません。
もしみんなができたら塾やら家庭教師なんて存在、必要なくなってしまいますからね。
ですから、親御様がやるべきは具体的な解き方を教えることではなく、学習計画と進捗管理です。
親が良き家庭教師であり、最良のパートナーとなる
「てめえ、裏切ったな!」
そんな声が聞こえそうであります。
私は「親が良き家庭教師であり、最良のパートナーとなる」とこのサイトの副題につけておりますから。
以前にもこの意味について書いたことがあります。
そこでは、「親は教えなくてもいい。その代わり、計画を立て、進捗管理をしよう」と書きました。
その考えは今も変わりません。
塾の先生はプロです。そして昨今の学習カリキュラムは過剰とも言えるほどに目的合理的です。
親が口出しをする隙もないくらいにね。
だからいっそのこと学習の細々したことは人に任せてしまうのが、みんなにとって幸せだと思うんです。
親はあくまで総合プロデューサー。シニアディレクターで、細々したことには介入しない。
具体的に言いますと、方程式で解けそうな問題でも口出しせず、塾のメソッドに任せる、と。
その代わり、お子さんのノートを見て「おかしいな」「なんか分かってないかも」というのがあれば、塾の先生に相談する、と。塾の先生は冷たく見えたり、ちょっとエキセントリックに見えたりしますが、お子さんが困っていたら一肌脱ぐくらいの心意気はみんなあるものです。
先生を信用しましょう。
あるいは学習計画の遅れを発見して優先順位を変えてみるとかね。
具体的には、
「2日間講習をお休みして苦手な『速さと比』を簡単なところからやってみようか!」
なんてね。
あるいは、お子さんのことを理解しているだけでも構わないと思うんです。
自分の気持ちを分かってくれる身近な人がいるってのはそれだけで心強いものですから。
どうしようもなく計算ミスを連発してしまっていたとき、そして出口の見えない停滞に襲われていた時、私はこう言われました。
「大丈夫よ。計算を練習したらできるようになるから。一緒に見ていてあげる」
その時の嬉しさと言ったら。ありがたさと言ったら。そして安心感と言ったら。
私は泣きました。
親の優しさに。
分かってくれる人がいるありがたさに。
成績が停滞していた時のこの言葉。
私はオイオイ泣いて、母が心配するくらい泣いて、「でも大丈夫だからね」と母を心配させないように泣き止んで、気丈にシャープペンシルを動かし始めたのでありました。
私はその時小学生でした。
そして今、頑張っている子供たちは、それでもただの小学生なんです。
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