【中学受験】宿題管理と丸つけでもう大変 答えを写してくるしかねえよ
宿題管理は親がやりなさい、という塾の先生の言葉に度肝を抜かれたことはありませんか?
ない?あ、そうですか。私は度肝を抜かれましたよ。
丸つけは親の仕事だの、宿題ノートをチェックしろだの、「完了」スタンプを作ってモチベーションを高めろだのうっせぇわと思いましたよ。
せいぜいスケジュール管理くらいならやってもいいですけど、赤ん坊にオシメはかせるわけじゃなし、そんなもん必要ねぇよ、甘やかすのも大概にしてくださいな、と思いつつ仕方ねぇなぁと宿題ノートをひろげるととんでもないことに。
「こいつ、丸つけ誤魔化してやがるッ・・・!」
我が子が誤答にバツを付けられず、苦し紛れに答えを写しているのを見て、
「あ、こりゃ丸つけやるしかないか・・・」
と諦めてしぶしぶ赤ペン先生に大変身。
それは小学4年生の初めの頃のことでした。
宿題管理は大きく分けて丸つけとチェックです。この2つについて話を進めてまいります。
丸つけを親がやることの意味
大抵の子供にとってバツがつくというのは否定の意味、つまりマイナスの事象でございます。
自ら自分にバツをつけられる克己心を持ち合わせている子供は少数。まぁそういう教育を受けてきてますからね。
本当はバツがつくってのは自分の課題に気づくプラスの意味を持ってるんですが、100点を取ったらYESで50点だったらNOと教育されてますから、バツは嫌な印でございます。
だから親が厳正に丸つけをしなさい、というわけ。
バツを誤魔化すのは自分を誤魔化すのに等しいわけで、これはもうやめた方がいい。でも子供自身ではできない。
「やりなさい、親が、丸つけを、仕方なく」
どんなに正論であろうが、こりゃあ正答するのが正義である学校教育のツケを負えって話なわけでクソクラエな話でございます。
なので、始めのうちは丸つけを仕方なくやりつつ、正答するのが正義ではなく誤答に意味があると事あるごとに言い聞かせる日々をスタートさせて、6年生になるくらいには自分で真っ当な丸つけができるように仕上げるのがよろしいかと考えております。
なぜなら、親がつけたバツと自分でつけたバツには、とんでもない痛みの違いがあるからです。
バツのクソみたいな痛みとともに何が悪かったのか、バツを経て自分は何をすべきか考えられるようにならないと大して伸びません。6年生ってのはそういうもんです。
だから、丸つけは4年生、5年生までは親がやるとともに6年生に向けた準備期間と捉えて辛抱と動機付けをジワジワ行っていきたいものです。
大げさに言うと学校教育の呪縛から脱却するための期間です、4年生、5年生ってのは。
丸つけのタイミング
1週間に一度、一気に丸つけ。
それも仕方ありません。忙しいですものね。
ですが、学習のフィードバック(丸つけ)はなるべく早いタイミングで行った方ががいいです。
つまり、一問一答。一問解いたら即座に丸つけ。目指す理想像です。
でも、そんなわけにはいきません。こっちはこっちで忙しい。
納期がぁー、打ち合わせがぁー、請求書がぁー。
分速50mで学校に向かう四谷君が800m進んだあとに、忘れ物に気づいたテレワーク中のママがTeamsのミーティングを中断して分速210mの自転車で追いかけるくらいの無茶な話です。息切れ間違いなし。
せめて四谷君の速度、秒速5センチメートルくらいだといいんですが。
とはいえ、4年生、5年生のうちは丸つけは親がリアルタイムにしといた方が理解度合いも分かりますし、指導もしやすいですからオススメいたします。
繰り返しますが本人任せだと、たいてい誤魔化しますからね。
宿題ノートを作りましょう、そしてチェックしましょう
宿題ノートと授業ノート分けてますよね?
これ、多分たいていの塾でそうしなさいと言われます。
そして私はノートを分けるのに100%アグリーです。
宿題ノートと授業ノートは絶対分けた方がいい。
なぜって、宿題と授業は意味合いが違うからです。意味の異なる学習は分けて管理した方がいい。
宿題は分からない事柄をあぶりだして意識するためのもの、授業は分からない事柄を解決するためのものです。
課題認識と解決。
全然意味が違います。よって分ける方がいい。
それに、実用上、授業用ノートと宿題ノートを分けないとせっかくの解決方法が毎日の宿題でどんどん後ろのページに追いやられていきます。
つまり、流れていくタイムラインinチャットワーク、のような事象が発生いたしますからね。
で、宿題ノートは丸つけの時にちゃんと見ておくと同時に子供に向けて宣言しておきます。
「宿題の丸つけはしっかりやるからね!」
親自身がチェックするぞと宣言しておくのも重要です。
これ、テスト効果ってやつで、テストが待ち構えている状況では学習効果が高まると実証研究でも報告されています。
嘘だと思うならテスト効果の論文漁ってみてくださいよ。
「チェックするよ」と宣言して「テストするよ」に等しい効果が得られるならやって損はありますか?いや、ありません。
宿題を行うことの意義
そもそも宿題って意味あんのか?って根源的な疑問も湧いてまいります。
多すぎだし、意味ねぇよ。って半ばヤケクソ気味ですが、なんかルーチンワーク気味になってきますと、そんな疑念がフワフワ浮かんでまいります。
ある教員がそのような疑いたっぷりの宿題に対してこんなことを言っておりました。
「俺さぁ、宿題出すのやめたことあるんだよ」
「はぁ、勇気要りますね。どうなったんですか?」
「実はさぁ、宿題出さなくても出してた時と成績変わんなかったんだよ」
「え?」
「いや、マジで」
「びっくりしましたよね?」
「違うよ。やっぱりそうかって思ったんだ。やっぱり意味ないのかって」
「マジですか」
「マジだよ。で、俺、宿題の出しかた変えたわけ」
「どうしたんですか?」
「レベル別にプリント作ってさぁ、それを一人一人に配ってったわけ。だいたいやってると分かるじゃん。誰がどれくらいできるかとかどこができないのかとかさぁ」
「はぁ、分かりますね。で、どうなったんですか?」
「成績上がったんだよ。あ、やっぱそうかって思ったんだよ」
「何をです?」
「一人一人やった方がいいことは違うのに全員に同じ宿題出すのは意味ないって。それからさぁ、レベル別にプリント作るのなんて大変すぎて出来ねぇよって」
「確かに出来ないですね。どんだけプリント作ったんですか?」
「いっぱいだよ。無理無理。ほんとはやりたくてもできねぇよな〜」
宿題とは罰ゲームである
「バカじゃねえの、あの担任、宿題ばっか出しやがって。おかげで受験勉強する暇なくなるんだけど」
と顔はにっこり、心の中で毒づき正拳突きの皆様今日もやらかしましょう!宿題という罰ゲーム!
漢字練習みたいな単純に覚えるようなものを除いて、宿題が課したほどの量に対して効果がないのはおおよその教員、講師ともに薄々気づいてるんじゃないでしょうか。ってか、完全に分かってる人もいます。
塾の先生は授業内で全てを演習させ、理解・定着させるのは不可能だから宿題を出します。ただ、レベル別に分けたクラスの真ん中あたりをターゲットにして宿題を出すので、一人一人の学習状況に合わせたものではありません。
効果も薄れようというもの。
一方、小学校の先生はというと、
「保護者に金払って買ってもらってるドリルだし、最大限活用してる感じにしないとな〜」
とか
「授業内で漢字練習なんかできないから出しておくか〜」
とか思いながら下のレベルの子供達をターゲットに粛々と宿題を出しているわけで、宿題なんて意味は薄いと思っているのは分かっておりまして、苦々しい気持ちでいっぱいなのですが、本当の被害者はお子さんでございます。
つまるところ学習ってのは分からないことを分かるようにするためのもので、集団でくくれないはずなんですよ。だって一人一人分からないことは違いますもの。
誰かにとっての意味ある勉強は、誰かにとって意味がない。
だから本来は一人一人に合った宿題を出すべき、、、なんですがいかんせん時間がない。余裕もない。13時に出勤して営業ノルマをこなすのに必死な先生が授業しているってのが塾の実情です。
そして月の手取りが20万。もやしでも食ってろって言うんですか。
宿題管理の極意
最近では「宿題」という単語自体が「罰ゲーム」を意味しているのに保護者が気づいてきましたので究極の解決策を考案いたしました!
「家庭学習って名称にすればいいんじゃねぇ!?」
名称をすり替えてやってる感を出すのは某緑のたぬきの小池氏も同様の智謀でございます。
最近は家庭学習という名前に変えてやってます!
さて、そんな家庭学習にあらがうため塾の方針に沿ってお子さんの理解度あいに合わせてスケジュール組んだ方がいいです、と私申し上げました。
結局、学校の先生も塾の先生も一人一人なんか見てられないわけです。そんな35人も20人も見てられるわけないでしょ。100歩譲って見てたとしても、一人一人に違う課題なんか出せるわけないでしょ。
そのギャップを埋めるのが親御さんって話です。
何がお子さんにとって意味あって、何が意味ないのかを選びとる、それは学校の先生も塾の先生もやってくれません。
塾に任せて一安心とうつつを抜かしている暇はないわけです。
簡単な解決策じゃあありませんが、お子さんの理解度を常にモニタリングして家庭学習の質と量を調整するしかない。
無視するべき家庭学習は無視して、意味ある家庭学習を選び取り、スケジュールに落とし込んでいく。
親御さんにとっては絶望的な話ですが、集団学習のサガでございます。
あ、分かったぞ個別学習塾に通わせればいいわけね!
そこでマルクス的な解決策が天からレーニンすることでしょう。
「プリバートに行かせよう!」
ひゃあ!金で解決、イッツ・ザ・前澤流!
ここではわざわざリンクを貼ってまで紹介しませんが、週2コマ(一回2時間、月4回)44,000円、小学6年生だと48,400円と紹介されております、プリバート。
週2回2時間ですよ。で、月44,000円、あるいは48,400円。
金をとるか労力をとるか。
私は労力をとった方が幸せになれると信じております。
だって、中学受験終わった時に、
「一緒に頑張ってよかったね!」
って言えるか
「プリバートに金出してよかったね!」
ってだいぶ違わなくないですか?
先にも言いましたが、学習とは分からないものを分かるようにする営みです。
したがいまして、丸つけとチェックをしている時こそ、(お子さんが)分からないことを(親が)分かる最大のチャンスなんです。
このチャンスを逃すのはもったいない。
毎日1回、感謝の丸つけとチェック、中学受験における親子の最も濃密なコミュニケーションの一つであります。
ま、4年生、5年生のうちはね。
自分で選び取る学習が目指すべき学習の形である
あー、色々宿題についてディスったり、新海誠の昔の映画を引用してみたりしましたけど、本当に言いたいことは何一つ言えてません。
本当に言いたいのは、
勉強ってやらされるのと、自分で選びとってやるのとでは意味合いも効率も全く違うってことです。
小学4年生、5年生で自分で予定立てて学習できるようにしろなんて言うつもりは毛頭ございません。
しかしながら、やらされでやっていくのも違う。
だからこそ、お子さん自身が自分で自分の学習予定を組めるように仕向けていくべきだと思ってるんです。
他人から与えられる学習よりも、まだ干支も一回りしていないような子供が自分のために考えた自分のための学習予定の方が100倍価値があります。
受け身じゃ何も解決しません。自分から情報を取りにいかないと。
インターネットには情報は載ってませんよ。
自分の子供の情報は自分の子供を見ることによってしか得られません。
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